光マイクロバブルとは何か (5)
「光マイクロバブルとは、その発生時において1~65㎛の直径を有する極微細な気泡のことで、その発生後は、自ら収縮していく性質を有する」
そして、光マイクロバブル技術とは、
「光マイクロバブルおよび光マイクロバブル水の物理化学的特性と生物的機能性を適用する技術」
のことです。
この命題を、より本質的に理解するために、前回までにおいて、ギリシャ神話における「技術の神様」である「プロメテウスの火」について考えてきました。
この議論を踏まえて、ヒトにとっての「火の問題」を、より深く考えてみようと思っていたところに、丁度良い単行本が見つかりました。
その本は、山梨の「しらたまちゃん」に丁度良いのかなと思ってアマゾンで注文しました。
それを、まずは私が読んでみることにしました。
そしたら、私自身が夢中になってしまいました。
その本とは、『人類の歴史をつくった17の大発見』コーディー・キャシディー著(河出書房新社)でした。
このおもしろさは、ヒトの歴史を遡って、考古学者や文化人類学者、さらには医者などの著名人多数に直接取材し、この17の大発見の理由やルーツを発掘していることにありました。
まだ、半分程度しか読んでいませんが、それによって私の古代人の印象が大きく覆されてしまいました。
その第一は、古代人は、今のヒトよりも、相当に優秀だったということでした。
古代のヒトは、まず、生きるために食べ物を確保することが不可欠でした。
そのために、男は狩りをし、さらには食べ物を探し歩くことに徹しなければなりませんでした。
しかし、身体的には他の動物と比較して、ほとんど優れた能力を持っていませんでしたので、その食糧確保には大変苦労していました。
当然のことながら、一人では食物を十分に獲ることができませんでしたので、互いに協力するという集団における協調が求められました。
しかし、動くことができない植物から食べ物は獲ることができても、動き回る動物たちを殺傷して獲ることは難しく、せいぜい死体を探し当てて、そこから食物を獲る程度のことしかできませんでした。
そんな不利な環境のなかで、一家を支えて、妻と子供たちを養っていくのですから、それは大変なことであり、現代人に同じことをせよといっても、それは不可能でしょう。
一方、女性の方はといえば、夫が狩猟してきた食物を料理しなければなりませんでした。
当時は、未だ、そのヒトたちは火を手に入れていませんでしたので、いわゆる火を使っての熱加工を行うことができませんでした。
自然の保存できない食物がほとんどでしたので、夫の食物確保、妻の食物料理が、不可欠の日課になっていて、それを十分に熟していくには、それぞれが優れていないと、とても成就できないことだったのです。
この姿を今風にいえば、必死に生きようとして食べ物を集め、夫婦が協力して自らを洗練させていた、ということができるでしょう。
第二は、その生活に、火という革命的な発明がなされるようになり、その主人公が、じつは女性であったということでした。
それが男性ではなかった、これは私にとって大変な驚きであり、意外性に富むものでした。
この火の発見こそが、女性による「生活の知恵と工夫」の贈り物だったのです。
この発見者は、作者によって「マルチ―ヌ」と呼ばれ、「ホモ・ハビリス(器用な人という意味)」という分類人類種でした。
それでは、彼女は、どのようにして、「火」を発明したのでしょうか?
ここには、天上から葦の茎のなかに火を入れて地上に投げ下ろしたプロメテウスはいませんでした。
火は、神から授かったものではなく、「マルチ―ヌ」さん自らが発明したものだったのです。
それは、偶然起きた山火事から持ってきたものではなく、火山のマグマが流れ出したものからとってきたものでもありませんでした。
それらは、一過性の火でしかないので発明とはいえません。
発明とは、新規性、有用性、進歩性に富むものですので、今まで誰も行ったことがない、いつでも役に立つ、そして、人類の歴史を大きな進歩に導くものでなくてはなりません。
かの有名な生物学者であるダーウィンは、「火の発明は人類最大の偉業である」と語ったそうですが、それでは、この作者は不足と思ったのでしょうか。
かれは、次のように言い足しています。
「火の発明は、人類そのものを創り出したのだ!」
すなわち、「ホモ・ハビリス」の「マルチ―ヌ」が、「ホモ・エレクトス(ラテン語で「直立する人」の意)」へと進化させたというのです。
なぜ、かれは、このような主張を行ったのでしょうか?
それは、火の発明の凄さ、革命性にあります。
それを詳しく論じる前に、これに関係して、光マイクロバブルの場合を考えてみましょう。
それは、光マイクロバブルが、はたして「人類の進化」という壮大な貢献ができるのか、どうかという問題といえます。
「そんなことは、できるわけがない」、「夢のまた夢」、「そんなのホラに決まっている」
などなど、上げれば切りがないほどに反論がどっと押し寄せてきそうです。
しかし、ここは、冷静になって考えてみましょう。
光マイクロバブル技術が、世界で初めて、わが国で筆者によって公表されたのは1995年のことでした。
それから、今は四半世紀を少し過ぎた時点にあります。
この命題は、そんなに短い期間において論じ、結論を下すことができないものではないでしょうか。
これについては、私自身が後期高齢者に仲間入りしたことを踏まえると、
「いかに長寿を得るようにするのか」、
「いかに、ストレスを回復するのか」、
そして「現代人が患って悩んでいる問題を、どう改善していくのか」など、
これらの重要な問題に関係していくことが、いよいよ明確になってきています。
それゆえ、それらを踏まえながら、この命題を焦らず、ゆっくりと粘り強く、その可能性在りや無しや、について検討していくことがよいのではないかと考えています。
おそらく、それは、後世の人々に判断していただくのが、むしろ、よいのではないかとさえ思っています。
さて、火の発明は、人類の進化において、具体的に、どのような貢献を成したのでしょうか?
次回は、その具体的成果を参考にしながら、よりふかく、この命題に分け入っていきましょう(つづく)。
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