ラインヘッセンの白ワイン
ワインは、高価なもの、庶民が飲むものではない。
若いころは、こう思っていて、それをほとんど飲むことはありませんでした。
その転機が訪れたのは、1994年の10月のことでした。
単身で、ドイツのゲッチンゲン市にあるドイツ航空宇宙研究所内の流体力学研究所に留学した時のことでした。
当時、土曜日の午後と日曜日には、スーパーやデパートが休業することを知りませんでした。
目の前で、店のシャッターが閉まって食べ物を買うことに困っていたら、キオスクなら開いているかもしれない、と思って行ってみたことがありました。
幸運にも店が開いていて、うれしくなってパンを数個購入することができました。
それを済ませ、その横に目を向けるとワインがあり、これを三本購入しました。
しかし、迂闊にも買い物袋を持っていなかったので、背広のポケットにワインを1本ずつ入れて、残りの1本とパンを持つというみっともない格好で宿舎まで歩いて帰りました(幸運にも、その日は日曜日だったので人通りはすくなかった)。
さあ、ワインを飲もうと思って、そのボトルの先を見るとコルクの栓があり、ここで、そのオープナーがないことに気づきました。
ーーー どうしようか?
ここで諦めるほどに、悠長な状態ではありませんでした。
ーーー こうなったら、コルクを瓶のなかに押し込んで飲めるようにするしかない!
必死で、その栓を押し下げ、めでたくワインを飲むことができるようになり、諸手を上げて喜びました。
そして、ドイツの小パン(ブロットヒェン、小さなフランスパンに似ている)にワイン、このみごとな味に感激したことを、今でも鮮やかに思い出します。
ーーー ワインとは、こんなにおいしい飲み物だったのか!
そのラベルを見ると、「ラインヘッセン」と描かれていました。
ここがドイツの三大名産地であることは、当然のことながら知りませんでした。
しかも、このワインは確か4DM(ドイツマルク、320円)と、あまりにも安かったので、つい3本も買ってしまい、それをどうやって持ち帰るのかの苦労を忘れていました。
ーーー こんなにおいしいワインだったのか!これなら、あの持ち帰った苦労なんか大したことはない。
と、変な強がりと納得をするほどでした。
この日以来、宿舎に帰ってから一人でラインヘッセンの白ワインを飲むことが、私の喜びになりました。
大きな木造の宿舎に、私一人が住んでいましたので、このワインが心の支えになりました。
苦労して、ワインボトルを3本も買ったかいがあったと、その判断は「間違いなかった、よろしい」と密かに自分に言い聞かせていました。
もしかして、このワインの経験がなかったら、私は、別の道を歩んでいたかもしれません。
土曜日の午後で、スーパーとデパートが開いていなかったことからキオスクに行き、ワインを購入したのですが、そのスーパーやデパートが開店していたならば、おそらく私は、ドイツビールを購入していたでしょう。
なぜなら、当時の私は、日本でビールに親しんでいたからでした。
運命とはふしぎなもので、その定休日が、私をワイン飲みへと導いてくれたのです。
しかも、
「こんなにおいしいワインが320円、ビールよりも安いではないか」
と思い知り、その「ワイン飲み」を、次のような訳で、しだいに親しむようになりました。
ワイン通のBさん
留学先のDLRの研究所のみなさんと親しく話をするようになって、そのなかにBさんという、大変有名な研究者がいました。
そのかれが、自分の誕生日の「お祝い」として、みなさんにワインを提供してくださいました。
ドイツでは、誕生日の主が、ワインをみなさんに振舞うのが「為来たり」なのです。
これは、まるで日本とは反対のことです。
そのワインをいただき、大変おいしかったので、Bさんにお礼をいい、ワイン談義をしていたら、そのかれが自分の部屋に来いというので、行ってみました。
すると、一冊のワインブックをくださいました。
それは、市内にあるワイン専門店が発行した本であり、そこに、ずらりとワインの銘柄が示されていました。
そこでBさんに、
「私は、ドイツに来て、ワインが、こんなにおいしかったのかを、初めて知りました。初歩のワイン好きに、お勧めのワインはどれですか?」
と尋ねました。
Bさんは、嬉しそうに、そのワイン候補を示してくださいました。
ーーー これで、私も、なんとか本場のワインを買うことができる!
早速、ゲッチンゲンの旧市役所の傍にあったワイン専門店に出かけました。
そこには、私がいただいたワインブックと同じものが置かれていました。
それを見ていると、店員さんが、にこやかな顔して話しかけてくださいました。
そこで、拙いドイツ語で「このワインをください」と注文すると、その店員は、ますますうれしそうでした。
「あなたは、すばらしい。このワインはおいしいワインですよ。よくぞ選んでくれましたね!」
というようなことをいっていました。
ーーー こちとらは、ワイン通に聞いてきたのだから、これが、すばらしくおいしいワインであることぐらいわかっている。
こうして私は、ワインのことをよく解っている、すなわち「ワイン通」になっていくための最初の関門を潜り抜けることができました。
キオスクでハラハラしながらワインを3本も買った私は、このBさんのコーチのおかげで、気持ちよく「ワイン通」の道を歩み始めたのでした。
これで気分をよくした私は、Bさんのところに行って「次は、どのワインがよいか」を繰り返し尋ねるようになりました。
このアドバイスを踏まえた私は、再びワイン専門店に行って、目当てのワインを注文し、なごやかに店員と言葉を交わすようになりました。
Bさんの的確な推薦が、その度に店員を驚かせ、目を輝かせることになりました。
それは、その店員が私を「ワイン通」として認め始めた証でもありました。
「よい注文ですね。あなたのワイン選びは素晴らしいですよ!」
これは、ある意味で当然のことでした。
なにせ、地元のワイン通のドイツ人の薦めにしたがったものですので、ワイン選択の理屈に適っていたのです。
ドイツ人は、この理屈に沿うことが好きなのです。
「なぜ、日本人のあなたが、こんなにワインに詳しいのですか?」
こう思われていましたので、こちらも、その専門店に行くことが楽しみになりました。
しかも、その選んでいただいたワインが、ことごとく、私を唸らせるほどにおいしかったのですから、これは、非常にゆかいなことでもありました。
しかし、なぜ私が、頻繁に専門店においてワインを購入できたのか、それにはもうひとつの重要な理由がありました。
次回は、その理由について述べることにしましょう。
(つづく)
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