コロナに明け、コロナに暮れた1年

 一昨日から山梨の孫たちがやってきて、にぎやかな年の瀬を迎えています。

 今朝は、その孫の娘たちと一緒に餅つきをしています。また、しらたまちゃんらは、今年最後の安岐港の魚市場の競りに出かけました。

 昨年は、この競りでタコをたくさん買ってきて嬌声をあげて喜んでいました。

 さて、恒例により、この一年を振り返ることにしましょう。

 この2020は、「コロナに明けて、コロナに暮れた」年でした。

 周知のように、世界中で8000万人を超える新型コロナウイルスの感染者が出現し、悲惨な状況に陥っています。

 第三波が襲来し、2週間ごとの新型コロナウイルスの変異によってより感染力が強まり、それが日本にも侵入してきています。

 新型コロナウイルスは、決して自分一人では生きていけず、ヒトの身体と共生していくわけですが、それが短期間に変異していくそうで、厄介な病原体ということができます。

 地球上の長い歴史の中で、その棲み分けをしていたにも関わらず、人間の強欲によって、それまでの棲み処を追われたウイルスが、とうとうヒトの世界にまでやってくるしかなかったのでしょう。

 そして、それをヒトとしての悪い輩が生物兵器にまで悪用としてきたことが、このような事態を結果的に招いてしまった可能性があるのではないかと推察しています。

 まず、日本列島における、本日の感染状況を明らかにしておきましょう。

 エピセンターが多数発生している東京では、火曜日としては最多の854名が報じられています。

 東京新聞の感染者数のグラフには、その感染者数とともに感染経路が不明な数も示されていて、それをみると、その不明者の比率が、この1週間で、その前の約半分から2/3に跳ね上がっていることが明らかです。

 これは、確実に市中感染が拡大していることを示唆しており、こうなると手が付けられないほどに深刻になっていき、持続的な感染を生み出す集積地がさらに拡大していくことになります。

 おそらく、検査数に対する陽性者の比率が今の22.6%(新宿)が、大きく跳ね上がることになるでしょう。

 また、埼玉県では、過去最多の300人の感染者が発生しています。この年末年始には、東京で感染者が1000名、全国で4000~5000名越が起こる兆候を示し始めています。

 問題は、なぜ、ここまで深刻な事態に至らしめたかにあります。

 11月の中旬に、今から3週間が正念場といいながら、ひたすら自粛やマスク会食をいいながら、自分は連夜の忘年会を多数で行う、一方で都知事の方は、言葉遊びに興じるのみで、科学的な対策法を講じられない姿は、哀れというしかありません。
 
 このような事態になって、最後は、ヘタレ込み、誰かに責任を転嫁する、そして放棄の末に逃げ出す、これが決まりのコースですが、ひたすら、その道を進んでいるように見えます。

 このような調子ですので、年明けには、二回目の非常事態宣言を出す以外に方法が無くなってくるでしょう。
 
 そのメガアラートの目安は、全国で4000~5000人、東京で1000人、その周辺で数百人になり、その他の地方都市で続々と過去最高を示し続ける事態に至ってしまう現象が生まれることです。

巨大なコロナパラダイムシフトのなかで

 こうなったら、大半の方々は、自分の行動を制御し、自宅に籠って感染を防ぐしかありません。

 その結果、年末年始において経済の復活を目論んでいた人たちが、最初に小さくない打撃を被ります。

 これには、大手航空会社やJRも含まれています。

 コロナの前までは、まったく考えられなかった超優良企業が、ここまで経済不振に陥ることを誰が予想できたでしょうか。

 コロナは、弱者だけでなく、強者と思われていた超優良企業でさえ、このような破綻性を有していたことを顕わにさせました。

 また、この問題は、観光や交通に関する企業のみならず、製造業においても深刻な本質が明らかになりました。

 その典型が、自動車工業会の豊田会長の会見であり、今後のEV車開発に関して政府や都の方針ではやっていけないという危惧が示されていました。

 これは、製造業を柱にした技術創造立国路線に関する方針が弱化して目先の子でしか対応できない政府の内実を、さらに顕わにさせました。

 これから、経済的には、その破綻がさらに進み、小さくないパラダイムシフトが形成されていくでしょう。

 このコロナパンデミックとパニック(「パニンデミック」と呼んだ)が大規模に進行する中で、何をすればよいのか、そして何ができるのかを考え始めたのが、第一波が過ぎた4月のことでした。

 それは、必ずやってくるであろう、第二波、第三波にどう備えるかということでした。

 世界的規模で、そして通常よりも5、6倍も速い速度で変化していくなかで、小さな個人が、国東という田舎で何ができるのか、という真剣な問いかけでもありました。

 しかし、個人ができることはしれている、いったい何ができるのか?無理であろう、止めてしまえ!
 
 こういう悪魔的ささやきも聞こえてきて、一瞬へたり込んでしまいそうな、そしてそれが高じて諦めてしまおうかという誘惑もありました。

 こんなかで、ある優秀な女性ジャーナリストがおもしろい発言をしていました。

 彼女のアメリカルポに基づくレポートには真実味があり、その現実から次の未来を考えていくというスタイルが身についていて、そこに信頼性がありました。

 「このコロナパラダイムシフトのなかで、それを変えることができるのは新技術であり、それに期待する」

 さすが、本質を突いた素晴らしい見解だと思いました。

 以後数々の方々がメディアに登場してきましたが、このような発言を行うことができたのは、児玉龍彦(東大先端研名誉教授)以外にはいませんでした。

 日本の「ものづくり」が、すっかり忘れられてしまった時代に、その列島にコロナが襲来し、さらに、その暗闇を深く覆うようになりました。

 こんな時こそ、それを乗り越えていく重要な手段が新技術ではないか。

 その仮説をしっかり抱いて、小さくてもよいから可能なことを積み重ねていくことが、ことさら重要ではないか、と思うようになりました。

 その4月以来の小さな実行は、どうなっていったのか?

 次回は、新年を迎えてからになりますが、そこに深く分け入ることにしましょう。

 この1年、ご愛読とご支援をありがとうございました。厚く御礼申し上げます。

 来る年が、みなさまにとってご来福の年でありますように祈念いたします。
 
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前庭のラベンダー
 (つづく)