はじめに

 今年も残り少なくなってきました。あと2日で師走入り、新型コロナウイルスの感染が毎日更新され、蔓延が止まらないこの頃です。

 そんななか、やや早いのですが、第4200回記念のシリーズを開始することにしました。

 この連載における、そう遅くない時期に、その記念日を迎えることができるでしょう。

 というもの、最近になって、2015年4月に発刊された「マイクロバブル」に関する専門書『マイクロバブル(ファインバブル)のメカニズム・特性制御と実際応用のポイント』の最終第4章において「マイクロバブル技術の誕生とその発展」の内容に関する議論を行いました。

 それに啓発されて、この5年をじっくり振り返ってみるのもよいことだと思うようになりました。

 以下、その原文(青細字)を踏まえながら、その後の5年間についてやや考察を深めることにしましょう。

 なお、最近は、「光マイクロバブル」という用語を用いて他のマイクロバブル装置で発生させられたマイクロバブルとの区別を行っていますが、この時点では、その区別がなされていません。

 そのため、ここでは、そのほとんどにおいて「マイクロバブル=光マイクロバブル」と理解していただいてよいと思いますので、ご高配をよろしくお願いします。


1.マイクロバブル技術の誕生とその発展


マイクロバブル技術の誕生

 マイクロバブル技術は,わが国発のオリジナル技術として1995年に誕生した.それは「超高速旋回式マイクロバブル発生装置(通称『M型装置』」が完成,公表されたことによるものであった1)

すでに,1980年代初頭から気泡を極微細化しようという試みは民間企業を中心に盛んになされていたが,その実現はなかなか困難なことであったようである.

また,「マイクロバブル」という概念も,医療の超音波診断分野の一部に存在していて,その造影剤に付着した微細気泡が「マイクロバブル」と呼ばれていたのみであり,流体力学として,マイクロバブルを発生させる基本原理も不明のままであった(青地部分は原文のまま).


 ここでは、マイクロバブル技術の誕生、そして創生のことを、さらりと一行で示しています。

また、その誕生は、その技術の核となった「(光)マイクロバブル発生装置」が完成し、それを世の中に公表したことによってなされたことが明らかにされています。

じつは、この誕生に至るまでには、15年という長い開発の歳月がありました。その開始の時の私の年齢は32歳、まだ西も東もわからない駆け出しの若輩助教授でした。

そのきっかけは、当時の山口県工業技術センターのM所長から推薦がなされことで、地元の中小企業の社長さんから、ある下水処理技術の開発に関する委員会への参加を依頼されたことにありました。

この委員会への参加、議論、そして開発依頼がなされたことが契機となって、私の微細気泡発生装置の開発が始まりました。

そのたたき台となった装置が、当時世界12か国で特許を取得していた、ある会社の「曝気装置(エアレーター)」でした。

しかし、この装置には、ぜいぜい100~200㎛の微細気泡を少量発生する能力しかなく、これをより微細に、そしてより大量に発生させることはできないか、これが、私が遂行しようとした目標でした。

当時は、マイクロバブルという用語がある一分野のみで使用されていましたが、この微細化、すなわちマイクロバブル化は、まったくの未開拓の分野でした。

後に、2000年代になって聞いたことですが、1980年代からは、主に化学工学や機械工学の分野において、この気泡の微細化、マイクロバブル化が盛んに探究されていたそうです。

しかし、そのマイクロバブル化には、本質的な困難が横たわっていました。

その困難とは、原文にも記されているように、マイクロバブルを発生させる流体力学的な基本原理が究明されていなかったことでした。

それゆえに、闇夜に鉄砲を撃って鳥を獲るかのごときアプローチを行うしかありませんでした。

当然のことながら、それには長い年月を費やすことを余儀なくされました。まさに、苦節の15年の歳月を実際に経験することになりました。



神奈川沖浪裏

 

葛飾北斎・富岳三六景(神奈川沖裏)