半沢直樹(6)
「半沢直樹」のもう一つの特徴は、「情熱」に溢れていることです。
この大元は、「父の死」にあるといえます。
かれの父親は、町工場でネジを製造する社長さんでした。
しかし、経営不振に陥ったときに銀行員(若い頃の大和田常務)に冷たくあしらわれ、それを苦にして首吊り自殺をしてしまいます。
半沢は、たしか、この時中学生であり、父親の亡骸を前に、「決して、あのような銀行マンにはならない」と決意し、復讐を誓います。
この無念を胸に抱き、半沢は、勉強に努め、不正を許さない正義感溢れる若者として成長し、その結果、東京中央銀行への入社を果たすことができました。
何の地縁、血縁もない半沢にとって、唯一の頼ることができる確かなものが正義であり、銀行マンとしての誇りを持って仕事を成就することでした。
それを支えたものが情熱であり、そこにおいて他の銀行マンたちとの大きな違いがありました。
そのかれらの行動原理は、上司の命令に依拠する、自分の出世と利権を最優先させることにありました。
それゆえに、かれらには我欲はあっても、情熱はなかったのです。
そのことが、テレビの画面に現れた、かれらの表情にもよく現れていました。
すなわち、半沢の闘いは、「正義と不正」、「情熱と冷徹」をめぐるものといってよいでしょう。
「科学は情熱である」
今のコロナ下において、半沢直樹によく似ている科学者がいます。
それは、東京大学名誉教授の児玉龍彦先生です。
かれと世田谷区長の保坂さんがコラボした「世田谷モデル」が、徐々に日本社会において有効性を発揮し始めています。
世界の最先端医学と技術を取り入れ、それをコロナの最前線の現場に適用し、数々の有効策を実証してきました。
かれの最も優れた新型コロナウイルス感染における研究成果のひとつが、PCR検査におけるIgm抗体反応において「日本的特殊性」を見出したことでした。
これは、東アジアの海岸に隣接している諸国や都市にも共通していて、過去に何らかのウイルス感染を受け、その抗体を保有していたことが影響していることを明らかにしました。
この学説を、最初は誰も無視していましたが、児玉先生が実績を重ねていったことで、だれもが、その学説を受け入れ始めるようになりました。
そして、児玉先生は、ネット上の番組に、小学校以来の同級生である経済学者の金子勝さんと一緒に出るようになりました。
生物学者と経済学者の協力は、世の中に強烈なインパクトを与えました。
新型コロナウイルス感染問題の本質を示され、ほとんど唯一といってもよい解決策を、諸外国の先進的事例を踏まえて、きちんと、その都度示されてきたからでした。
時に、その見解を心を震わして滔滔と述べられ、科学は、多くの人々の命と暮らしを守るためにあることを勇気をもって指摘していたことに、共感と感動を覚えました。
科学は、政府や一部の専門家のためにあるのではない、国民のためにあるものである、この信念は、少しも揺るがず、コロナ危機の深まりとともに研ぎ澄まされていきました。
その科学と信念に基づく意見の開示がみごとに示されたのが、先日の参議院予算委員会の席上でした。
そこには、担当大臣や政府の分科会会長も同席していましたが、かれらの何をいっているかわからない意見に対して、児玉先生の発言は明快で痛快、その答弁が終わった直後に拍手喝采が起こりました。
児玉先生は、研究費を確保するためにクラウドファンディングを立ち上げられ、自ら防護服を着てPCR検査のために新型コロナウイルスを採取されるほどに実践的で自ら問題解決をなさろうとしています。
その児玉先生が、「なぜ、そこまで頑張るのか」という主旨の質問を受けられたときに、次の名言を紹介されました。
「科学研究の源は情熱である」
そして、多くの人々のために科学の成果を活かすことが重要であるとも述べられていました。
この言葉に接して、私には、児玉先生が半沢直樹と重なって見えました。
児玉先生ほどの、そして半沢直樹ほどの情熱を持って対処している、研究者や銀行マンが、ほかにいるでしょうか。
数多の学者や専門家がメディアに登場してきましたが、そのほとんどが評論家のようで、コロナを撲滅させるという情熱が伝わってこない方ばかりでした(宇都宮の倉持医師は、そうではありませんでした)。
この英雄のような人物が兼ね備えている「情熱」、これをよく理解して好むイデオロギー(思想)、これを身近に感じて親しむ、これも日本人的特質のひとつではないかと思われます。
コロナで「へたり込み」そうになっているみなさん、ここは、児玉先生や半沢のような「情熱」に親しみ、好んで宿すことが必要ではないでしょうか。
よく考えてみてください。
まだまだ、先は長く、コロナとの闘いは続いていきますよ!
(つづく)
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