コスモスの開花

 私の住む国東市武蔵町の向陽台では、梅雨が明けると同時に、早くもコスモスが咲き始めました。

 ここ向陽台は、海抜40mのところにあり、周囲は広大な森に囲まれていますので、平地と高原地帯の中間的な気候ではないかと思っています。

 夏の盛りはお盆までで、それを過ぎると秋の気配が漂うようになります。

 コスモスの開花も、そのひとつです。

 間もなく、赤とんぼが飛び始めるでしょうから、秋は日一日と近づいてくるのではないかと思われます。

鬼瓦最中

 先日、中津に行った帰りに、宇佐市の菓子屋「親玉饅頭」に立ち寄りました。

 ところが、メイン通りにあった店舗が閉まっていました。

 その張り紙には、7月いっぱいは休店という通知が示されていました。

ーーー これは困ったことになった。どうしようか!


 車中で相談しているうちに、裏通りの本店があることを思い出し、そこに行ってみることにしました。

 やはり、ここにも同じ張り紙があり、休店状態でした。

 幸い、店内に入って挨拶を告げると、店の方が出てきました。

 「今日まで休店のようですが、なんとか『鬼瓦最中』を買うことはできませんか?」

 「20分ほど待っていただくと用意できますが・・・・」

 「鬼瓦の黒、小豆餡だけでお願いできますか?可能でしたら25個入りを3箱用意してください」

 「なんとかなると思います」

 「それはよかった!これで、沖縄の親戚と知人に送ることができますね」

 沖縄には珍しい『鬼瓦最中』、さぞかし、みなさんに喜ばれることでしょう。
 
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左が鬼瓦最中、右は通商の「親玉饅頭」と呼ばれる破れ饅頭
(親玉饅頭本店のHPより引用)

 左が、鬼瓦最中です。

 鬼瓦とは、屋根の端に設置する鬼の模様を掘った瓦のことです。

 この餡には、小豆の黒餡のほか、白餡、緑餡などがありますが、私の好物は、もちろん黒餡です。

 右は、いわゆる「破れ饅頭」であり、これを子供のころによく食べました。

 当時は、我が家にお土産を持ってくるお客さんの多くが、この破れ饅頭であり、これを「親玉饅頭」だと思っていました。

 当時の高級な「おやつ」といえば、この親玉饅頭であり、大喜びでいただいたことを今でもよく思い出すことができます。

 この親玉饅頭の創業者は渡辺光さんであり、私の親父との親交があったようで(たしかポンプを設置していたようです)、私も子供のころに親玉饅頭を作っていたのを何度か見学したことがあります。

 そこでは、光さんが、黙々と饅頭のなかに入れる餡子を作っておられました。

 この店に張られていた文書を紹介しておきましょう。

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店内に貼られていた説明文

 創業は戦前であり、私が見学した時の渡辺さんは、まだ若いころの働き盛りだったようです。

 この説明文にもあるように、その味は今も同じで、その菓子作りの伝統が守られていることがすばらしいですね。

 このように素敵な最中が、地域に留まっているのは「もったいない」、これが常々思ってきたことでした。

 この伝統に裏打ちされた地域の名物を、さらに洗練させ、より広くみなさまに愛されるようになることが期待されます。

 現在は、その伝統を守られているのは三代目だそうで、一度会って話ができるとよいですね。

(つづく)