半沢直樹

 私は、テレビをほとんど見ません。

 かつて大矢壮一さんが、テレビを見ると一億総白雉化してしまうといっていましたが、今のテレビは、ますます、その予言が的中する事態を迎えています。

 しかし、BS放送のある番組は例外で、偶に見る番組のひとつが、NHKBSの大河ドラマでしたが、これが休止になりましたので、代わりに、民放で再開された『半沢直樹』を見るようになりました。

 半沢と対決する悪役上司に名俳優を配し、この悪役ぶりが、水戸黄門の悪代官と重なってみえます。

 主人公の半沢は、持ち前の知恵を駆使して、悪行の大元を調査し、かれ得意の「倍返し」で報復を遂げていきます。

 この過程がおもしろく、視聴者は拍手喝さいを浴びせているのだと思います。

 まさに、現代版「赤穂浪士」、「水戸黄門」であり、原作者は、その日本人の好きなイデオロギーをきちんと理解して物語を描いています。

 その意味で半沢直樹は「現代の英雄」であり、若者たちが憧れる人物といってよいでしょう。

 かつて、この英雄役を演じたのが石原裕次郎でした。

 ある映画では、建築学を学ぶ大学生として登場し、叔父さんの宇野重吉演ずるビルの工事現場の監督を支援していました。

 この映画を見ておもしろかったのは、裕次郎さんが建築技術者の卵として登場していたこと、そして、その先輩としての現場監督さんが蝶ネクタイをしていたことでした。

    また、裕次郎さんは、手を傷つけられ、競い合いのドラㇺ打ちを止めて歌で勝負しました。

 当時は、技術者が憧れの的であり、皆が目指した階層だったのです。

 しばらくの時が過ぎて、今では背広を着てネクタイをしっかり締めた若者が、主役を演じるようになりました。

 同時に、その主題は、すばらしい建築物を造るのではなく、思惑と利権でしか動かない輩と、その不正を許さない正義と人間的やさしさとの対決でした。

 これまで約40年にわたって横柄に振舞って悪役ぶりを演じてきた「新自由主義」、すなわち「今だけ、金だけ、自分だけ」が、こんなに脆弱だったのかと思うほどに音を立てて崩壊し始めています。

 半沢直樹は、この崩壊過程において活躍するヒーローの一人といえます。

 この赤穂浪士と水戸黄門のイデオロギーを内部に配置させた、この『半沢直樹』は前作以上に大ヒットし、より多くの国民のみなさまが拍手喝さいを贈るドラマになることは間違いなさそうです。

 なぜなら、かれの後ろでは、国民みんなが応援のエールを贈っているからです。

 この古くは『赤穂浪士』から現在の『半沢直樹』に至るまで、それらが愛されている大元には、日本人の「イデオロギー好き」があります。

イデオロギーと科学

 それでは、「イデオロギー」とは何でしょうか?

 広辞苑では、「単に思想傾向、政治や社会に対する考え方」と表されています。

 悪しき思想傾向、社会の考え方に、全力で立ち向かい、ご政道を正していく、このイデオロギーを、日本人は相当に好む気質を有しています。

 古くは、国木田独歩が『牛肉と馬鈴薯』を著し、それを読んだ多くの人々が牛肉を食べに行ったそうです。

 芥川龍之介も、牛肉のスキヤキが好きだったようで、よくスキヤキ屋に通っていたそうです。

 そのかれは、二度もスペイン風邪にかかり、そのことで人付き合いを遠慮するようになったと聞いています。

 周知のようにスペイン風邪の第二波の特徴は、感染者数が少なかったのに死亡者数が相当に多かったことでした。

 これによって、高齢者よりも免疫を持っていなかった若者が数多く亡くなったことに特徴がありました。


 おそらく、これは、ウイルスの変異が起こり、より強毒化した結果だったのではないでしょうか。

 そのコロナの第二波が、早くも、じわじわと押し寄せてきたのではないか、という指摘が増えてきました。

 真に恐るべき事態が、近未来にやってくる可能性があります。

 先日の参議院予算委員会では、東大名誉教授の児玉龍彦先生が、「今日の状態が続けば、1週間後に大変なことになり、一か月後には目を覆うようなことになる」と心を震わせて警鐘を乱打されていました。

 日本の「ルイ16世」や「緑のタヌ〇」さんに聞かせてやりたい、真心からの叫びでした。

 ところで、イデオロギーには、上記のような正義と反逆に基づくものもありますが、そうではない、「今だけ、金だけ、自分だけ」に収斂される政治的社会的な考え方があり、それが我がもの顔で蔓延ってきました。

 そして、これらが科学との狭間において、さまざまな矛盾や不合理を噴出させてきました。

 いわば、その泥船が沈みかけていて、そのイデオロギーさえもが消え失せるという、哀れな末路を迎えています。
 

 その典型が、新型コロナウイルス災禍において発生した現象の分析の「甘さ」と「科学的見解」と、その対策において派生し続けているさまざまな困難が出現していることです。

 本論では、第4090回記念として、このイデオロギーと科学の受容に関する考察を、心の命ずるままに認めていくことにしましょう(つづく)。

baranoha
バラの若葉