S先生が愛読されていた池波正太郎著の『食卓のつぶやき』はエッセイ集であり、しかも、それを食に関係した短文が読みやすく、興味をそそられました。
これをすいすいと読み進めてきたなかで、これはすごい、おもしろいと思ったのが、前回の記事の「黒白(こくびゃく)」であり、それに勝るとも劣らないのが、「元禄忠臣蔵」でした。
これは、著者が18歳という若い頃に、この題名の映画を見たという回顧から始まっています。
この映画の封切りは1941年であり、著者が、この映画を見たのは12月8日であり、この日は、第二次世界大戦における日米開戦、すなわち真珠湾攻撃がなされた日でした。
それゆえに、この開戦の日に映画を見たという記憶が鮮明に刻まれていたのだと思います。
監督は、巨匠の溝口健二さんであり、かれを含めたスタッフの多さと豪華さには目を見張りました。
監督は、巨匠の溝口健二さんであり、かれを含めたスタッフの多さと豪華さには目を見張りました。
なかでも、このなかに建築監督というポジションがあり、ここに新藤兼人さんの名前がありました。
新藤兼人さんは、『裸の島』で国際的な映画賞をいただき、みごとに踏み止まられて復活された監督です。
お金がなくて、もう映画づくりは止めようと思って製作した最後の映画が、海の向こうで高く評価されました。
主演女優は音羽信子さんで、新藤さんの奥さんでした。
この映画の最後で、この裸の島を飛行機で撮影して音羽さんがいた近景から遠景へと変化していくシーンがすばらしく、感動を覚えたことが私の記憶に刻まれています。
なけなしの金をすべて叩いて、この飛行機をチャーターしたのだと、どこかで新藤監督が仰られていました。
おそらく、新藤監督は若い頃に、本映画の溝口監督から育てられ、鍛えられたのだと思います。
ここで、なぜ、新藤建築監督の話をするかといえば、この「元禄忠臣蔵」において、それこそみごとな建築物がいくつも登場してきたからでした。
前編の冒頭では、最初に「松の廊下」が出てきます。
この周辺を含めた全景が静かに引かれて示されます。
そして、準主役の吉良上野介が何やら浅野内匠頭を非難を二言三言述べた後に、すぐに刃傷に及ぶという出だしであり、この斬新性に、まず驚かされました。
当然のことながら、この映画には討ち入りのシーンが一切なく、近代の忠臣蔵の映画やテレビとは、まったく逆でした。
おそらく、溝口監督は、この殺し合いシーンが好きではなかったのだと思います。
それが証拠に、溝口監督が製作した映画のほとんどは女性ものであり、殺し合いや戦いのシーンはありません。
戦争直前で、国家情報局の検閲を受けた映画ではありましたが、敵と闘い、殺すことを示さずに討ち入りをどう描くかに関して、彼なりの知恵が絞られたのだと思います。
第3は、登場する女性がみごとな演技をなされていたことでした。
池波正太郎は、浅野内匠頭の妻瑶泉院(阿久里姫)を三浦光子が、その侍女戸田局の梅村蓉子が、共に名演技をなさっていることに涙を流して感激されています。
これは、討ち入りを果たした吉田忠左衛門からの報告の手紙を読むシーンであり、大石内蔵助が訪ねてきた際に、かれの真意を汲み取れなかった反省を覚えながらの音読によって、その成就を果たしたことへの認識と敬意が表現されていて、これに池波が心を打たれたのでした。
もう一つの驚きのシーンは、赤穂浪士の切腹の言い渡しがある前に、男装した女性(おうの、磯貝十郎左衛門の婚約者、若き高峰三枝子)が訪ねてきて大石と面会したことでした。
私の知る赤穂浪士の忠臣蔵では、それこそ切腹間際に女性が訪ねて大石に嘆願することは、いずれの作品にもありませんでした。
ここで大石は、その女性の無理な懇願を受諾して、許嫁だった磯貝十郎左衛門と彼女の面会を叶えてやります。
当初、磯貝は、彼女との面会に面くらいますが、必死の彼女の懇願で、心のなかを打ち明け、彼女も納得します。
そして彼女は、切腹の日に女性に戻って、その屋敷で身を果てます。
磯貝の真意を抱いて生き続けることができないと悟ったからでした。
磯貝の切腹衣装からは、琴のツメが遺品として出てきたそうで、これに因んで溝口監督が最後に男女の仲に関わる名シーンを演出したのだと思います。
これから戦争に向かうという世相のなかで、忠臣蔵の最後に、このエピソードを添えた溝口の勇気と監督魂に感銘を受けました。
おそらく、人々は戦意高揚よりも、男女の愛の確かさを求め、評価したのではないでしょうか。
第4は、冒頭で示した新藤兼人さんの建築監督によって設営された建屋のすばらしさでした。
池波が、賞嘆したのは、後編の冒頭で、能舞台のシーンから始まって、最後は、それを鑑賞する将軍の実弟甲府様の宴席にまで至る大パノラマでした。
これほど大掛かりな建築物を造るには、相当な苦心があったことでしょう。新藤建築監督の腕の見せ処であったように思われました。
加えて、登場人物の衣装、髷(まげ)、美術品のすばらしさにも驚きました。
ーーー 今日の映画よりもずっと豪華できめ細かいではないか!
第5は、主役の大石内蔵助を演じた河原崎長十郎の名演技でした。
しずかに、少しも気負わず、朴訥(ぼくとつ)と語る内蔵助は、みごとでした。
とくに、浅野家再興を願い出ながら、同時に吉良を打つという相反の矛盾に苦しむ内蔵助の苦悶がよく表現されていました。
他の映画においては、このような内蔵助の内面を抉る深掘りがなされておらず、長い年月をかけて、浅野家再興を願いながら、吉良を撃つことも忘れずに待つしかない、この決意に苦しみが含まれていました。
遠く約80年以上も前の映画とは思われない新鮮さ、美しさ、生々しさにも心を打たされました。
前編、後編を合わせて合計で3時間43分を一気に鑑賞いたしました。
さすが、池波さんが推奨する映画だけあって、古さを感じない、あるいはこのようにすばらしい映画は、その後誰も作りえていないと思いました。
池波は、この映画を観て、その後東京で食事を楽しみますが、それは、本主題と反れる話ですので、ここでは省略します。
これで、その後の溝口監督の映画作品を鑑賞してみたくなりました。
おそらく、S先生は、かれの作品を実際に映画館で観られたのかもしれません。
ご存命であれば、この元禄忠臣蔵をはじめとして一連の溝口作品について話しの花を咲かせてみたかったですね(つづく)。
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