S先生が遺してくださった本のなかに、池波正太郎著の『食卓のつぶやき』がありました。
『剣客商売』などの侍物が有名ですが、一方で食道楽でもあった著者は、食に関するエッセーをいくつか認めていましたので、いつかぜひとも読んでみたいと思っていました。
これも、「食」について大変な拘りを持たれ、大食漢でもあったS先生の「お導き」かと思って仕事の合間に読み進めることにしました。
まず、これを読み進めて驚いたことは、文章と食に関するプロの書き方は違う、ということでした。
私は、長い間、別稿の「国東の食環境」において地元の食材を取り上げ、その食後の感想などについて記事を認めてきましたが、その際、いつも苦心したことは、食に関する内容をどのように表現したらよいのかを工夫することでした。
まず、これを読み進めて驚いたことは、文章と食に関するプロの書き方は違う、ということでした。
私は、長い間、別稿の「国東の食環境」において地元の食材を取り上げ、その食後の感想などについて記事を認めてきましたが、その際、いつも苦心したことは、食に関する内容をどのように表現したらよいのかを工夫することでした。
単に「珍しいものがあった」、「おいしかった」、「病みつきになりそうだ」といった表現だけではおもしろみがない、それではどう書けばよいのか、これをずっと考え続け、その答えを見出すことができないままでした。
ところが、この池波エッセーに分け入り、その問題が次々に氷解していくのではないかと思えるようになりました。
ーーー そうか、このように書けばよいのか!
お手本のご本人は、食通のプロの書き手ですので、そのノウハウがふんだんに散りばめられることでおもしろく、興味を抱かせることに成功しているのですから、これを学ばない手はないと思いました。
「なるほど、こう書けばよいのか。出だしの書き方、最後の数行の重要性、解りやすく、どんどん読み進める滑らかな文脈の流れ、さすがだ!」
こう思うようになり、早速、その方法を取り入れて認めよう、と思いました。
また、この池波文章のおもしろさは、作者の行動のなかで食が設定されていることにもあり、何を考え、何をしているかのなかで「食」が重要な役割を占めていることにありました。
これは、かれの生活や旅行のなかに、「食べること」がきちんと位置付けられ、それを基本にして豊かな営みがなされているからおもしろい、読みごたえがある、私もそれを食べてみたいと思うようになる魅力ではないかと思いました。
池波は、脚本家や演出家でもあり、舞台での代表作は「剣客商売」と「鬼平犯科帳」などです。
後者に関しては、それを開始するにあたり、約半年前から、その最初の脚本ができ上っていたそうです。
ところが、そのテーマの題名が決まらないまま、ずっと半年間考え続け、その芝居の始まる前日になっても、その状態が続いていたそうです。
その日、行きつけの鮨屋にいっても、うつろな状態で鮨屋の主人が心配するほどでした。
力なく鮨を食べて、最後に海苔巻きが出てきたそうです。
黒い海苔の上に、白いご飯が載せられていたのを見て、かれははっと思いついたのです。
そのテーマの題名が、「黒白(こくびゃく)」でした。
この黒白の鬼平犯科帳は大評判になり、テレビでも放映されるようになりました。
この件(くだり)の部分を紹介しましょう。
「海苔巻きをたのみます」
「ハイ」
職人がスダレをひろげ、黒い焼きのりを置き、その上に白い飯をのせた。
その瞬間に、私はにやりとした。題名がぴたりと決まったのである。
「海苔を食べたら、また、食べ直しだ」
「・・・?」
その題名を「黒白」という。
おそらく、この最後の数行をいうために、その前の文章があり、ここに導くための構成に頭を捻って書き始めたのだと思います。
この池波エッセーにおいては、この最後の件がすべてといってもよく、ここにかれの英知が集約されていて、これが読者をあっといわせ、深い感銘や余韻を与えている、みごとな文章だと思いました。
これと同じ方法が、最近のコロナショックに関する思想家の内田樹さんの文章に取り入れられていました。
第一級の文筆家の手法は、私どもとは違う、みごとだと思いました。
これについては、別稿で紹介したいと思います。
S先生の遺してくださった本、さぞかし先生もゆかいに読まれていたのではないかと想像いたしました。
ありがとうございました(つづく)。
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