私が、K整形外科病院を退院してからもS先生との親交が深まっていきました。

 私の人生を振り返ると、どちらかといえば私よりも年上の方との交流が長続きするようで、S先生はその一人になっていました。

 私の退院後、K整形外科病院との共同研究が本格的に開始されました。

 これには、大分県と国の大型補助金の支援もあって、それが充実していくことになりました。

 このころ、K病院には2週間に1回のペースで実験に行っていましたので、その都度、時間を作ってS先生との懇談もなされるようになりました。

 そのなかで、先生は、上記の大型補助金の支援を受けたことにも理解を示され、大変喜ばれていました。 

 その懇談のなかで、先生を我が家に招待することになりました。

 というのも、先生は生野菜が好きでしたので、私が無農薬で光マイクロバブル野菜を栽培しているというと、「それを食べてみたい」と仰られたからでした。

 当時、我が家は新築して1年余、ようやく中庭に小さなハウスを設置し、そこでそれこそ手作りの野菜栽培を開始したところでした。

 幸いにも、その時は、かなりの野菜を収穫できるまでになっていましたので、先生に存分に野菜を食べていただきました。

 先生は、「おいしい」を連発されながら、食卓の野菜をすべて食されました。

 これぞ、気持ちがよいほどの食べっぷり、と思いました。 

 この歓談のなかで、もうひとつおもしろい展開がありました。

 それは、先生が、我が家とその周辺の環境を大変気に入られたことでした。

 折しも、先生ご夫妻は、大分県九重町に別荘の建築を検討されていて、それがほぼ本決まりになっておられたそうでした。

 そんなことも知らずに、私は、先生のそのご関心に応えて、次のように助言を行いました。

 「先生、ここはとても住みやすいところで、空港も車に乗って4分で行けます。静かで空気もきれい、災害の心配もなく、海の幸、山の幸が豊かですよ」

 先生は、目を輝かせて聞いておられました。

 「私の家の周りには空き地がたくさんあります。土地の値段も安く、先生が、ここに来られると、先生と一緒にますます楽しく話ができますね」

 さらっと、このようにいった誘いの言葉が、このご夫妻にはとても有効だったようで、それからしばらくして、次のような驚きの報告がありました。

 「これまで検討してきた九重への移住を断念し、お宅のそばに別荘を建てることにしました。これで、あなたとゆっくり話しながら残りの人生を過ごすことができます」

 これは、真に嘘のような本当の話でした。

 そして間もなくS邸の建築が我が家と同じ建築士によってなされることになりました。

    この新築の場所とわが家の距離はわずかに約20m、呼び呼ばれた際には1分以内に行き来することができるようになりました。

 この新築に先生が住まれたのは、わずか数か月でしたが、その交流については次回に紹介することにします。

 さて、遺品としていただいた本のなかに『兼好さんの遺言』が目に留まりました。

 「兼好さん」とは、『徒然草』を認めた吉田兼好さん、人呼んで兼好上人のことです。

 著者は、その古典研究者の清川妙さん、私も、彼女の著書を2、3冊読んで、そのみごとな書きっぷりに少なくない感動を覚えていました。

 この本を読み進めていて、ふと「非家の人、道の人」という比較に出会いました。

 次回は、その内容に触れながら、先生を深く偲ぶことにしましょう(つづく)。
 
siroihana
梅園の里の庭に咲いていた白い花