本ブログを書き始めたのが2008年5月からですから、足掛け10年余が経過したことになります。

 途中、大病を患ってしばらくの中断がありましたが、幸いにも、今日まで何とか書き連ねることができました。

 何事も長続きができない私が、このようなロングランの執筆を続けることができた理由は、一重に、光マイクロバブルのことを考え続ける生活を送っているからなのでしょう。

 この執筆は常に山あり谷ありです。

 しかし、そのことは読者のみなさんには関係がありませんので、可能なかぎり平然と何もなかったように書き続ける、これも長い間に身に付いてきた習慣でもあります。

 それでも、私は人間ですので、ブログの記事をなかなか書けないことがあります。

 それは、他のことに没頭したときのことであり、こうなると何を記事に書いたらよいかが解らなくなってしまいます。

 「どうしようか。何か簡単に書けるテーマはないか?」

 このように考え始めると、ますます、そのアイデアは浮かばなくなり、窮地に陥っていきます。

 そして今がその窮地、ここからどう脱出するかを考えながら記事を書く、それもよいのではないかと、半分居直りながらキーボードを叩いています。

 この原因は、補助金の申請を行うために、その構想を練り、粗筋を作製し、実際に書き始めたことにあり、これが未だ山場を越えず、相当に努力しないと、それを乗り越えられないという段階に留まっていることにあります。

 こうなると、頭が疲れていると少しも前に進まなくなります。

 若い頃は、体力に任せて、疲労を覚えれば覚えるほどに、頭が冴えて、その課題をやり切ることができたのですが、今は、その魔法のような手法を使うことができません。

 これも歳のせいでしょうか。

 まずは、頭と身体の調子を整えて、集中力を存分に発揮できるようにしなければなりません。

 しかし、その情熱とやる気は、若いころと比べても、あまり水準を落としていません。

 今朝は、コメントをよくくださる教え子さんと電話で歓談していたら、かれが次のように励ましてくれました。

 「その歳で、『これから、先生の人生において勝負なさる』という前向きの『お考え』はすばらしいですね。

 そんな方は、私の周りにも、なかなかいませんよ!

 先生の気持ちがそれだけ若いということですよ」

 「そうだといいのだが・・・」と思いながら、感謝の気持ちが湧いてきました。

 そのかれとは、先週の夜にも電話会議を行い、人生の在り方について語り合いました。

 私の前の職場では、私どもが育てた教員のみなさんが定年退職を迎えたころで、かれから、みなさんの最近の様子を聞くことができました。

 定年退職は、私も、かつてそうだったように、一つの人生が終わり、次に向かうという節目になります。

 私の場合は、自分で開発した技術に関わって設立された2つの会社に就職することになりましたが、このような事例はめったにないそうで、それだけ、私は「常識外れの『変わった人生』」を歩んでいることになります。

 今は、人生100年の時代を迎えようとしていますので、63~65歳で定年退職しても、その後が結構長く、次の人生設計が必要になります。

 その20~30年をどう過ごすのか、それだけ長い期間を「年金暮らし」で過ごすわけにはいきません。

 かといって、働きがいのある職場が簡単に見つかるわけではなく、ましてや、好きな仕事を見出し、そこに生きがいを見つけることは、さらに、むずかしいことになります。

 私は最近、老後の暮らしとして、好きなことを好きなだけ行うことが一番ではないかと思います。

 それが仕事でできるのであれば、尚のことよいのではないでしょうか。

 なんだか、とりとめのない話になってしまいました。

 これから、精魂を込めての申請書づくりに戻ります。

 本日は、中津に行って、その申請書に関する打ち合わせに行ってまいりました。

 帰りに、ふじ屋に唐揚げを買い、その熱々を相棒と二人で車の中でいただき、そのおいしさに、互いに満足いたしました。

 「命と健康の『ものづくり』」の申請書づくり、この1週間が山場です(つづく)。

o-gasuta
オーガスタ(新しい葉が3枚出てきている。浴室に設置)