本日は大寒、しかし寒さは、やや和らいでいるようで穏やかな朝です。

 そして1月も後半に入り、2019年も本格的に稼働し始めました。

 今年の最初の出来事としては、ある申請に関する審査会がありました。今は、その発表を待っているところです。

 さて、今年の正月番組においてあるBS番組の放送がとても印象的でした。

 それは、俳優の玉木宏さんがキャスターとなったドキュメンタリーであり、たしか「レニングラード」という番組でした。

 「レニングラード」とは、ロシアの革命家レーニンに因んで命名された都市の名前ですが、旧名は「サンクトペテルブルグ」でした。

 ここは、1702年にピョートル1世によって設けられた帝都であり、そしてフィンランド湾に面した港湾都市、当時のロシアにとっては海運の要衝でした。

 私は、ここを訪問したことはありませんが、ここを訪れた知人によれば、とても美しい良い都市であり、「一度行かれたら良いですよ」、とのことでした。

 番組は、玉木さんが、このレニングラードの街中を訪ねたところから始まりました。

 いつもは明るい表情をしているかれが、この番組では非常に重苦しい表情で語り始めました。

 それもそのはず、この番組の主題は、『レニングラード』という通称名が付いたショスタコビッチ作曲の交響曲第7番に関するものでした。

 ショスタコビッチといえば、ソビエトの近代作曲家として有名であり、最も印象に残っているのは、その交響曲第5番「革命」であり、若い頃によく聴いていました。

 ところが、この番組では、ショスタコビッチ自身が、これは大衆に受けることを意識させられた曲であり、かれ自身が満足するほどの作曲ではなかったという意図が紹介されていました。

 それは、当時の政治状況が関係し、そのかれの作品をスターリンらが政治的プロパガンダとして利用していたからでした。

 ショスタコビッチとしては、もっと満足のいく作曲をしたい、良い音楽を作りたいという思いから、第7番の作曲に取り掛かります。

 しかし、ここでもスターリンらは、その政治利用を考えていて、ショスタコビッチを事実上保護しながら、その完成を待ちます。

 当時、ソビエトはヒットラーのドイツ帝国と戦争状態にあり、その困窮のなかでアメリカからの支援を受けていました。

 そのアメリカの大統領ルーズベルトは、戦時という理由で二期で終わりのはずの任期を伸ばして三期目を務めていました。

 この大戦によって経済大国にのし上がったアメリカも、ヨーロッパ戦線への支援が重なり、これまで以上の支援が困難であるとの意向をスターリン政府に示していました。

 そこでスターリンが考えた支援協力がじつに巧妙であり、それは、このショスタコビッチ作曲の交響曲第7番をアメリカに持ち込むというものでした。

 スターリンは、この第7番が、アメリカ国民に歓迎され、小さくない反響を呼ぶであろうと予測したのです。

 たった一つの交響曲で、これまで以上に物資の支援を受けられる、これは、かれらにとってこんなよいものはなかったといえるでしょう。

 持ち込まれる側のルーズベルトも、その価値をよく理解していたのだと思います。

 この合意が成立し、マイクロフイルムに納められた第7番がアメリカに送られました。

 大切なものですから、その送付ルートも特別に配慮されました。

 モスクワから南下し、中東から南米へ、そこから北上してアメリカに届けられました。

 それを受け取ったのは、当時のロシア文化に関する興行を一手に引き受けていた賢い業者でした。

 そこで、初演をどうするか、とくに指揮者に誰を選ぶかが周到に検討されました。

 その結果、ロシア出身の指揮者ではなく、それに抜擢されたのが、イタリアから亡命していたトスカニーニでした。

 ムッソリーニの独裁を嫌いアメリカに亡命していたトスカニーニが、その第7番の指揮をする、このアイデアはアメリカ国民の関心を大いに集めました。

 加えて、遠路はるばるとマイクロフイルムが特別のルートで運ばれてきたことも話題になりました。

 こうして、その初演がニュヨークのカーネギーホールの隣のコンサートホールで行われました。

 この主催者の予想通り、アメリカ国民は、これを大歓迎し、熱狂しました。

 これが全米に拡散し、わずか数カ月で60何回ものコンサートが催されました。

 その主役はショスタコビッチの交響曲第7番、私は、この曲を聴いたことがありませんでしたので、早速、それを拝聴しました。

 さすが、ショスタコビッチが精魂を傾けて作った曲だけあって、それはすばらしいものであり、交響曲第5番を乗り越えた重厚さと洗練さがありました。

 「これだと、アメリカ国民が拍手大喝采を贈った訳がわかる」

と思いました。

 ネット上から得た演奏は、バーンスタイン指揮のシカゴ交響楽団によるすばらしいものでした。
 
 ショスタコビッチが作曲家としてより洗練させようとした曲、一方で、それを自国の経済支援のための梃子としたスターリンの思惑、自らの政治的延命に利用し、戦争高揚を成し遂げたルーズベルトの巧妙さ、これらの3つが折り重なって、この第7番は、世界中の人々に普及していったのでした。

 これは、一つの作曲が、いわば、それらの関係者を通じて世界を動かしていったことであり、それだけの芸術作品としての「力」を有していたことを示すものであったといってもよいでしょう。

 それでは、この第7番は、本家本元のソビエトにおいては、どのような力を発揮したのでしょうか。

 当時のレニングラードはドイツ軍に包囲されていました。

 この包囲のなかで、この曲は、どのような力を発揮したのでしょうか。

 次回は、その力のなかに分け入ることにしましょう(つづく)。

ogisannkouyou
小城山