今日から3連休、昨日までの数日間は何かと忙しかったせいでしょうか、そして昨日は、病院での定期検査の数値が若干よかったせいでしょうか。

 その反動で安堵感も押し寄せてきて、遅い朝食と昼食で過ごし、ようやく、その疲労が少し抜けてきたようです。

 こんなとき光マイクロバブル湯が、その回復に役立ちます。

 いつの間にか、昨夜を除いては、このところ朝の光マイクロバブル入浴が増えてきました。

 夜だと、どうしても夜遅くになってからの入浴が多く、そのために、思う存分に入浴時間を確保できません(家族と入浴する時間帯が重なるために)。

 とくに、朝起きてすぐは頭が覚醒していませんので、その状態で入浴すると徐々に目が覚めてきますので、これもなかなか乙なものです。

 さて、約1か月半ぶりの報告ですので、この間の実証試験の結果から報告しましょう。

 その第1は、私の左手の親指を人差し指の改善結果を示しましょう。

 これらの指が最悪の状態で、この試験は開始されました。

 これは、次のような状態になっていました。

 ①指の曲げ伸ばしが円滑に行われないようになって、それを行うと、カクッ、カクッと、指がすんなり曲がらない状態になっていたことでした。

 ②おまけに、その第2関節、第3関節部分に痛みを覚え、その指を強く曲げると、その痛みが増すという状態になっていました。

ーーー これが悪化して、曲がらなくなったら大変だ!

と思って、入浴のたびに、光マイクロバブルを、その痛みのある部分に近接噴射させました。

 しかし、その噴射時間は、たかだか数十秒程度、この程度で改善できるのかどうか、まずは、それを確かめることにしました。

 痛みを覚えている時は、毎回、熱心に光マイクロバブルの近接噴射を行っていましたが、その痛みが徐々に消えてくると、そのうち、いい加減になってきて、この近接噴射を度々忘れてしまうこともありました。

 最初に、その明確な改善傾向が現れたのは、親指の方でした。

 あの「カクッ」が無くなり、以前の動きと同じで、指を動かすのに何も抵抗や違和感を覚えないようになりました。

 これに伴い痛みもまったく無くなり、右と同様に正常な状態に回復しました。

 もともと、この指の動きと痛みは、毎日行っているキーボード打ちにおいて、この両指をほとんど使用しないことから由来したものだと思っていましたので、可能なかぎり、この指を使用する打ち方の改善を行うように心がけました。

 しかし、人差し指の方は、なかなかすぐの改善には至りました。

 まず、その「カクッ」となる症状については、ほんのわずかには改善したものの、まだ完全な円滑動作までには至っておらず、しかも、最大に曲げると痛みを覚えますので、いまいまだ、その改善途上にあるということができるでしょう。

 また、指が冷えて動かさない状態が続くと、やや曲がったままで、まっすぐ伸ばそうと思っても、それがまっすぐ伸ばした状態にはならない、という状態がよく出現しています。

 こんな時は、その曲げ伸ばしをよくするために指の屈伸や関節部分の揉み解しを念入りに行い、その後では、まっすぐ伸ばせるという状態にすることができました。

 また、関節の部分の痛みは、その部分を強く押さえると強く出現し、指を強く曲げてもありますので、これも回復途上の現象といえるでしょう。

 ただし、その痛みは、試験開始時の強い痛みではありませんので、これもそれが弱まってきたのではないかと思います。

 このように、両指とも回復傾向にありますので、その光マイクロバブルの作用効果は良好であり、引き続き、これを継続して行うつもりです。

 2つ目は、先日のマイクロバブル研究会における報告のなかでも少し触れてみましたが、光マイクロバブル入浴にともなって出現する「ここちよさ」についてです。

 その研究会の折に、講師の本山さんから、それは、単にリラックスしたときの「ここちよさ」ではなく、精神的にもより充実しているときの「ここちよさ」ではないか、という指摘があり、その時の精神状態が「コヒーレント状態」と呼ばれていることが紹介されました。

 そこで、この「コヒーレント状態」のことをいろいろと調べてみると、身体医学的な状態、あるいは精神状態に関して、これがよく引用されていて、それらの内容に、強いおもしろさを覚えることができました。

 それは、前者においては、脈拍において不整脈のない、規則正しく力強いときの状態において発生する現象であり、後者に関しては、ここちよく前向きのプラス思考になったとき、あるいは頭が冴えて集中できたときに起こる現象であると解説されていました。

 一方、光マイクロバブル入浴によって大幅な血流促進が起こることが究明されてきましたので、それと連動して、この「ここちよさ」、「プラス思考」、「頭が冴える」、「集中力が高まる」という付随的現象が起こり、それを脳が認識していることに間違いはありません。

 そうであれば、脳は、なぜ、そのように感じるのか、あるいは、それを認識できるのか、これらが非常に重要な問題になってきます。

 「これをもっと深く科学的に究明する必要がある」

 これが、私の到達した最初の山の問題でした。

 それでは、その山を越え、次の峰に至るには、どうすればよいのであろうか?

 私の足は、自然に、その峰に至る林の中に分け入っていきした。

 「分け入っても分け入っても青い山(種田山頭火)」

 この歌が脳裏に浮かんできました(つづく)。

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トウガラシの紅白