17日、18日と、第13回マイクロバブル技術国東セミナーが開催され、その対応に追われていました。
今回は、大成研究所の竣工記念の行事も兼ねていましたので、いつもよりも一段と精力を注ぎ込むことになりました。
おかげでセミナーは無事終了、小さくない反響があったようで、今は、ここちよい疲れとともに、それをゆっくり癒しているところです。
これから、本セミナーを振り返りながらの詳しい報告を行っていく予定ですが、その全体を振り返りますと、今回は、本セミナーの在り方が、前回に続いてより本質的に変わっていくということを強めたのではないかと思います。
それをやや深く解説しますと、物事の認識というものは、まず新たな知見に接すると「学ぶ」という段階に分け入ることになります。
この段階においては、その学んだことにおいて「理解できた」ことと「そうではない」ことが混在しています。
また、この理解においては、いくつかの段階があり、その深度が問題になります。
それが浅いものに留まるのであれば、理屈や知見に触れて自分なりの解釈ができたという水準に到達できたことになります。
しかし、「ヒトの理解」、すなわち「わかる」ということは、この水準に留まるだけではありません。
それが深まり、自分の解釈のみに留まる段階から、より上位に向かうと、「わかる」という段階に突入することになります。
この段階においては、頭で「わかる」と身体で「わかる」という2つの水準があります。
こういうと、読者は、「その2つの『わかる』とは何だ。どう違うのだ!」、きっとこのようにいわれることでしょう。
たしかに、解りにくいことですので、次のように考えていただくのがよいでしょう。
前者における特徴を示します。
①理屈として「わかる」ということがやや進んで「なるほど」と思うようになること。
②しかし、それは心の中にまで刻まれることはなく、そのうち忘れてしまうほどの理解に留まることが多い。
③したがって、この理解からは、「重要な何か」が生まれてくることはほとんどありません。
④とくに重要な違いは、「新たな考え」はおろか、「行動」に至るものは皆無であるといってもよいでしょう。
ところが、後者の「わかる」においては、そのブレイクスルーが次のように起こるようになります。
それを上記に照らし合わせて、やや詳しく述べておきましょう。
①「なるほど」という気持ちが起こることは同じです。
しかし、強いてより詳しくいえば、「なるほど、そうか」と「膝を打つ」ようになりますが、これは本質的な違いではありません。
②ここからは、決定的で本質的な違いが現れます。
それは、「決して忘れることができない」ことになることです。
「忘れない」ということは、常に頭のなかに浮かんでくることを意味します。これを「脳のなかに記憶として刻み込む」というのだそうです。
頭に常に浮かんでくるようになると、その意味や、そこから次に生まれてくるものは何かを考えるようになります。
③この思考を繰り返し、慣れ親しんでいくことで、それが当たり前になり、自然に身に付くようになります。
この瞬間はとても重要なことであり、他人の知識や思考が、自分のものになるのですから、これが実現されることによって「賢くなる」ことができます。
その「重要な何か」の「何か」が朧気ながらも解るようになり、「わかる」ことにおけるブレイクスルーが起こるようになります。
世の中には、このような変化を遂げていかれる方がおられます。
たとえばイチローは、映画『白い巨塔』を繰り返し、それこそ何百回も観たそうです。
これによって、かれは、映画に登場していた財前教授の心理が解るようになり、財前教授として振舞うことができるようになります。
また、漫画家手塚治虫は、ディズニーの映画を何度も観ているうちに、製作者の気持ちを理解できるようになったといわれています。
さらに、手塚漫画の人気が低落し、もうだめだと世間から思われるようになったときに、最後の切り札として登場させたのが『ブラックジャック』でした。
かれは、もともと大学の医学部を卒業していましたので、その後何度も考え抜いてきた大人のレベルの医学の知識とエピソードを子供漫画に総動員させたのでした。
④イチローや手塚治虫が、「行動の人」であることは、だれの目にも明らかなことです。
イチローは、野球だけでなく、コマーシャルにおいても名演技をすることでよく知られていて、かれのコマーシャルがテレビにおいて消えて無くなることはありません。
財前教授になりきろうとひたむきに、その映画を見続けた成果が、それによく現れていると思います。
また、手塚の行動が、その後に小さくない影響を与えたことも周知のことであり、この漫画に出てきたようなテレビ映画がいくつも人気を集めています。
最近のある美人女優の敏腕医師の物語などは、それこそ女性版ブラックジャックともいってよく、これを天国で観ている手塚さんは、さぞかしにんまりとしていることでしょう。
このように、「わかる」という認識が深まると、最後には、それが新たな行動に結びつき、そこから、さらに新しい「重要な何か」が生まれるようになります。
これを、私は「身体でわかる」と呼ぶことにしています。
これは、科学や技術を研究する方にとっても、非常に大切なことです。
常に、それこそ電車のなかやトイレ、お風呂のなかで、そして寝床のなかでも思い出し、あれこれと考えることができるようになる、これは便利で、とても素晴らしい精神生活といえます。
この生活のなかに浸っていると、そのうち、良いアイデア、よく考えてみると小さくないブレイクスルーをもたらすようなアイデアがポンと浮かんでくるようになります。
時には、しつこくてほんの一部しか見えてこないこともありますが、一部であろうと全体であろうと浮かんでくる時は、ほとんど偶然であることが多いようです。
今回のセミナーでは、この「忘れられない」ほどに光マイクロバブルのことが「心に刻まれ」、それが今後の行動へと向かう、すなわち、「身体でわかる」ことによって、そこから「重要な何か」が生まれてくる、このような気配を覚えることができました。
それが、形となり、生命体のように成長できるようになるのではないかと推察しています。
これこそ、光マイクロバブル技術が生成期から成長期に向かう、わずかでかすかですが、最初の胎動ということができるのかもしれませんね。
こんな思いに駆られて、かなりの疲労を感じながらも、頭のなかには、眠気と爽やかさが同居して、とてもゆかいな日曜の朝となりました(つづく)。
今回は、大成研究所の竣工記念の行事も兼ねていましたので、いつもよりも一段と精力を注ぎ込むことになりました。
おかげでセミナーは無事終了、小さくない反響があったようで、今は、ここちよい疲れとともに、それをゆっくり癒しているところです。
これから、本セミナーを振り返りながらの詳しい報告を行っていく予定ですが、その全体を振り返りますと、今回は、本セミナーの在り方が、前回に続いてより本質的に変わっていくということを強めたのではないかと思います。
それをやや深く解説しますと、物事の認識というものは、まず新たな知見に接すると「学ぶ」という段階に分け入ることになります。
この段階においては、その学んだことにおいて「理解できた」ことと「そうではない」ことが混在しています。
また、この理解においては、いくつかの段階があり、その深度が問題になります。
それが浅いものに留まるのであれば、理屈や知見に触れて自分なりの解釈ができたという水準に到達できたことになります。
しかし、「ヒトの理解」、すなわち「わかる」ということは、この水準に留まるだけではありません。
それが深まり、自分の解釈のみに留まる段階から、より上位に向かうと、「わかる」という段階に突入することになります。
この段階においては、頭で「わかる」と身体で「わかる」という2つの水準があります。
こういうと、読者は、「その2つの『わかる』とは何だ。どう違うのだ!」、きっとこのようにいわれることでしょう。
たしかに、解りにくいことですので、次のように考えていただくのがよいでしょう。
前者における特徴を示します。
①理屈として「わかる」ということがやや進んで「なるほど」と思うようになること。
②しかし、それは心の中にまで刻まれることはなく、そのうち忘れてしまうほどの理解に留まることが多い。
③したがって、この理解からは、「重要な何か」が生まれてくることはほとんどありません。
④とくに重要な違いは、「新たな考え」はおろか、「行動」に至るものは皆無であるといってもよいでしょう。
ところが、後者の「わかる」においては、そのブレイクスルーが次のように起こるようになります。
それを上記に照らし合わせて、やや詳しく述べておきましょう。
①「なるほど」という気持ちが起こることは同じです。
しかし、強いてより詳しくいえば、「なるほど、そうか」と「膝を打つ」ようになりますが、これは本質的な違いではありません。
②ここからは、決定的で本質的な違いが現れます。
それは、「決して忘れることができない」ことになることです。
「忘れない」ということは、常に頭のなかに浮かんでくることを意味します。これを「脳のなかに記憶として刻み込む」というのだそうです。
頭に常に浮かんでくるようになると、その意味や、そこから次に生まれてくるものは何かを考えるようになります。
③この思考を繰り返し、慣れ親しんでいくことで、それが当たり前になり、自然に身に付くようになります。
この瞬間はとても重要なことであり、他人の知識や思考が、自分のものになるのですから、これが実現されることによって「賢くなる」ことができます。
その「重要な何か」の「何か」が朧気ながらも解るようになり、「わかる」ことにおけるブレイクスルーが起こるようになります。
世の中には、このような変化を遂げていかれる方がおられます。
たとえばイチローは、映画『白い巨塔』を繰り返し、それこそ何百回も観たそうです。
これによって、かれは、映画に登場していた財前教授の心理が解るようになり、財前教授として振舞うことができるようになります。
また、漫画家手塚治虫は、ディズニーの映画を何度も観ているうちに、製作者の気持ちを理解できるようになったといわれています。
さらに、手塚漫画の人気が低落し、もうだめだと世間から思われるようになったときに、最後の切り札として登場させたのが『ブラックジャック』でした。
かれは、もともと大学の医学部を卒業していましたので、その後何度も考え抜いてきた大人のレベルの医学の知識とエピソードを子供漫画に総動員させたのでした。
④イチローや手塚治虫が、「行動の人」であることは、だれの目にも明らかなことです。
イチローは、野球だけでなく、コマーシャルにおいても名演技をすることでよく知られていて、かれのコマーシャルがテレビにおいて消えて無くなることはありません。
財前教授になりきろうとひたむきに、その映画を見続けた成果が、それによく現れていると思います。
また、手塚の行動が、その後に小さくない影響を与えたことも周知のことであり、この漫画に出てきたようなテレビ映画がいくつも人気を集めています。
最近のある美人女優の敏腕医師の物語などは、それこそ女性版ブラックジャックともいってよく、これを天国で観ている手塚さんは、さぞかしにんまりとしていることでしょう。
このように、「わかる」という認識が深まると、最後には、それが新たな行動に結びつき、そこから、さらに新しい「重要な何か」が生まれるようになります。
これを、私は「身体でわかる」と呼ぶことにしています。
これは、科学や技術を研究する方にとっても、非常に大切なことです。
常に、それこそ電車のなかやトイレ、お風呂のなかで、そして寝床のなかでも思い出し、あれこれと考えることができるようになる、これは便利で、とても素晴らしい精神生活といえます。
この生活のなかに浸っていると、そのうち、良いアイデア、よく考えてみると小さくないブレイクスルーをもたらすようなアイデアがポンと浮かんでくるようになります。
時には、しつこくてほんの一部しか見えてこないこともありますが、一部であろうと全体であろうと浮かんでくる時は、ほとんど偶然であることが多いようです。
今回のセミナーでは、この「忘れられない」ほどに光マイクロバブルのことが「心に刻まれ」、それが今後の行動へと向かう、すなわち、「身体でわかる」ことによって、そこから「重要な何か」が生まれてくる、このような気配を覚えることができました。
それが、形となり、生命体のように成長できるようになるのではないかと推察しています。
これこそ、光マイクロバブル技術が生成期から成長期に向かう、わずかでかすかですが、最初の胎動ということができるのかもしれませんね。
こんな思いに駆られて、かなりの疲労を感じながらも、頭のなかには、眠気と爽やかさが同居して、とてもゆかいな日曜の朝となりました(つづく)。
お隣の庭先に咲いていました。
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