去る25日に、第27回マイクロバブル研究会が開催されました。
今回から、会場が緑砦館(大成研究所)のセミナー室に移りました。
今度は、会場に余裕があり、プレゼン用のスクリーンも大きく立派なものができましたので、講演もしやすくなりました。
以下、当日のプログラムです。
プログラム
18:00~18:30 各研究会員からの報告
18:30~19:00 話題提供①
「自然素材研究所がめざすもの」 松井武明
19:00~19:30 話題提供②
「地域の再生方法と課題」 大成博文
19:30~20:00 話題提供③S会員提供の米の試食と合評会
20:00~20:15 話題提供④大成京子コンサート(伴奏者病欠のためにDVD鑑賞)
20:15~20:30 自由討論
①については、まず、その「自然素材研究所」の敷地と建物が示されました。
場所は、自然素材研究所長の松井さん宅の真裏であり、そこにあった幼稚園の廃園地と園舎を再利用して研究所を設置するのだそうでした。
富来地区の県道からオレンジロードに向かう途中にあり、周囲には何も建物がなく、研究所を設けるには格好の用地だと思いました。
しかも、この園舎は平屋ですが、その敷地は600㎡もあり、この広大なスペースを利用して自然素材の研究が行われるとのことで、一同から「ぴったりの土地が見つかってよかったですね」という声が相次ぎました。
今後、建物の内装を行い、周囲の土地整備も行う予定だそうで、その暁には立派な研究所の設立となることでしょう。
国東市としては、このような本格的な研究所ができることは稀有なことでもあり、その支援もなされるとのことだそうで、これからの発足と発展が期待されます。
なお、この自然素材のなかには、研究会として取り組んできたヘチマもあるそうで、これまでの研究成果が活用されると幸いですね。
②については、私が、国東に来てからの5年余を振り返りながら、衰退の一途を見せている地域(国東ほか)を、どう再生させ、振興していくかについて報告しました。
最初に、国東の地域は、歴史的にどのような地域であったのかについて、下記のスライドを提示しました。

ここは、かつて六郷満山文化が栄えた日本のなかでも先進地域であり、「学問の地」、「修行の地」、そして「布教の地」でもありました。
ところが、今はどうでしょうか?
その3つの先進地の面影はすっかりなくなり、最前者においては、統合された高校があるのみ、
次においては、修行する場所もなく、そして、新たな情報をほとんど発信できる地域ではなく、ある意味では、ただ「時代に取り残された地域」になっています。
この困難を究明し、どう解決していくのか、これが、みなさんに投げかけたの最初の問題提起でした。
これを踏まえ、国東の産業構造の考察を行いました。
以下は、国東市のホームページから引用した「産業人口の推移」です。
このデータからも明らかなように、1970年(昭和55年)には4割近くあった農漁業人口は、年々減少し、2010年には約2割に達しています。
これは、農漁業を主体としていた国東市において、その基幹の産業が衰退していったことを顕著に示しています。
一方で製造業人口はどうか?
これによれば、1995年がピークで、それ以降は減少を開始しています。
周知のように、日本経済のバブル崩壊が1991年ですから、それ以降に形成された「失われた20年」が今なお継続し、「失われた26年」に至っているといってもよいでしょう。
すでに、大手企業の工場におけるかなりの部分が閉鎖され、現在は、さらに深刻な事態に陥っていることでしょう。
すなわち、製造業も衰退している、これが現実です。
それでは、第三次産業のサービス業はどうでしょうか?
このピークは2005年であり、その5年後は減少傾向に転じています。
この傾向は、明らかに、サービス業の割合が増えていくという全国的な傾向とは違っていて、逆に減る傾向を見せています。
しかも、サービス業に占める割合は、全国において約4割以上を占めているのに対し、国東では、それが3割程度に留まっています。
これらをまとめると、農漁業の急激な衰退、製造業のやや減少、サービス業の増進がない、これが国東の産業構造の特徴ということができるでしょう。
以上を踏まえますと、以下の困難突破(ブレイクスルー)の課題が浮上してきます。
①農業人口の減少を防ぎ、逆に増加に転じることができる改革を行う。
②中小企業の減少を防ぎ、逆に発展させる方法を見出す。
③学問の府、修行の道場、情報発信の地を形成できる核づくりを行う。
(つづく)。
裏の道路沿いに咲いていた白い花
今回から、会場が緑砦館(大成研究所)のセミナー室に移りました。
今度は、会場に余裕があり、プレゼン用のスクリーンも大きく立派なものができましたので、講演もしやすくなりました。
以下、当日のプログラムです。
プログラム
18:00~18:30 各研究会員からの報告
18:30~19:00 話題提供①
「自然素材研究所がめざすもの」 松井武明
19:00~19:30 話題提供②
「地域の再生方法と課題」 大成博文
19:30~20:00 話題提供③S会員提供の米の試食と合評会
20:00~20:15 話題提供④大成京子コンサート(伴奏者病欠のためにDVD鑑賞)
20:15~20:30 自由討論
①については、まず、その「自然素材研究所」の敷地と建物が示されました。
場所は、自然素材研究所長の松井さん宅の真裏であり、そこにあった幼稚園の廃園地と園舎を再利用して研究所を設置するのだそうでした。
富来地区の県道からオレンジロードに向かう途中にあり、周囲には何も建物がなく、研究所を設けるには格好の用地だと思いました。
しかも、この園舎は平屋ですが、その敷地は600㎡もあり、この広大なスペースを利用して自然素材の研究が行われるとのことで、一同から「ぴったりの土地が見つかってよかったですね」という声が相次ぎました。
今後、建物の内装を行い、周囲の土地整備も行う予定だそうで、その暁には立派な研究所の設立となることでしょう。
国東市としては、このような本格的な研究所ができることは稀有なことでもあり、その支援もなされるとのことだそうで、これからの発足と発展が期待されます。
なお、この自然素材のなかには、研究会として取り組んできたヘチマもあるそうで、これまでの研究成果が活用されると幸いですね。
②については、私が、国東に来てからの5年余を振り返りながら、衰退の一途を見せている地域(国東ほか)を、どう再生させ、振興していくかについて報告しました。
最初に、国東の地域は、歴史的にどのような地域であったのかについて、下記のスライドを提示しました。
ここは、かつて六郷満山文化が栄えた日本のなかでも先進地域であり、「学問の地」、「修行の地」、そして「布教の地」でもありました。
ところが、今はどうでしょうか?
その3つの先進地の面影はすっかりなくなり、最前者においては、統合された高校があるのみ、
次においては、修行する場所もなく、そして、新たな情報をほとんど発信できる地域ではなく、ある意味では、ただ「時代に取り残された地域」になっています。
この困難を究明し、どう解決していくのか、これが、みなさんに投げかけたの最初の問題提起でした。
これを踏まえ、国東の産業構造の考察を行いました。
以下は、国東市のホームページから引用した「産業人口の推移」です。
このデータからも明らかなように、1970年(昭和55年)には4割近くあった農漁業人口は、年々減少し、2010年には約2割に達しています。
これは、農漁業を主体としていた国東市において、その基幹の産業が衰退していったことを顕著に示しています。
一方で製造業人口はどうか?
これによれば、1995年がピークで、それ以降は減少を開始しています。
周知のように、日本経済のバブル崩壊が1991年ですから、それ以降に形成された「失われた20年」が今なお継続し、「失われた26年」に至っているといってもよいでしょう。
すでに、大手企業の工場におけるかなりの部分が閉鎖され、現在は、さらに深刻な事態に陥っていることでしょう。
すなわち、製造業も衰退している、これが現実です。
それでは、第三次産業のサービス業はどうでしょうか?
このピークは2005年であり、その5年後は減少傾向に転じています。
この傾向は、明らかに、サービス業の割合が増えていくという全国的な傾向とは違っていて、逆に減る傾向を見せています。
しかも、サービス業に占める割合は、全国において約4割以上を占めているのに対し、国東では、それが3割程度に留まっています。
これらをまとめると、農漁業の急激な衰退、製造業のやや減少、サービス業の増進がない、これが国東の産業構造の特徴ということができるでしょう。
以上を踏まえますと、以下の困難突破(ブレイクスルー)の課題が浮上してきます。
①農業人口の減少を防ぎ、逆に増加に転じることができる改革を行う。
②中小企業の減少を防ぎ、逆に発展させる方法を見出す。
③学問の府、修行の道場、情報発信の地を形成できる核づくりを行う。
(つづく)。
裏の道路沿いに咲いていた白い花
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