いよいよ、本ブログも3000回を迎えることができました。
これから、しばらくの間、それを記念して「緑砦館物語」を開始します。
本日は、そのプロローグを示しておきましょう。
プロローグ
緑砦館(りょくさいかん)とは、「みどり」を「とりで」にする「やかた」のことである。
具体的には、この度新築した北棟(大成研究所)、南棟(研究室およびデモ用風呂、そして住居)、中庭の植物ハウス(旧大成邸の中庭のハウスも含む)のそれぞれで構成されている。
この命名において「砦」という文字を用いた理由は、ここを、押し寄せてくる「敵」から自分たちを守る拠点にし、同時に、はるか向こうにある敵陣へ攻め込むための武器や食糧を用意することにあった。
また、幼き頃にワクワクしながら視た、黒澤明監督、三船敏郎主演の「隠し砦の三悪人」の「砦」に因んだからでもある。
この映画では、隠し砦のなかに、「金の延べ棒」があり、それが枯れ木のなかに入れて隠されていた。
物語は、この延べ棒が入った材木を、隠し砦から運び出し、味方の陣地まで搬入しようとして、ハラハラドキドキの展開が繰り広げられていきます。
どうやら、この財宝を巡ってのリアルな人間模様を描くことが、この映画の主題のようであった。
それでは、緑の砦における、この模様は、どのように描かれていくのであろうか?
この映画のようにドラマチックで、固唾を飲むようなシーンを十分に描き続けていくことができるのであろうか?
そのことが、この緑砦館において、これから本格的に問われることになることを考えると、小さくない身が引き締まる思いを抱かざるをえない。
この舞台における主役を演ずるのは「光マイクロバブル」である。
その主役の活躍と名演によって、ここに金にも勝る「重要な何か」を見い出すことができるのか、それとも、ドン・キホーテのような「見果てぬ夢」で終わってしまうのか。
ここには、「人生の賭け」に似たものがあるように思われる。
来年の夏には、70歳を迎える。
この大台を前にして、この研究所の事業に挑むことになり、小さくない「ときめき」と「静かな興奮」を隠すことができない。
それでは、この緑砦館で生み出す「重要なもの」とは何か?
読者のみなさんに、それを具体的に想像するとすれば、それは、これまでも述べてきた「ゴールドクラウン」の記事の内容を思い浮かべていただくとよいであろう。
光マイクロバブルは、その優れた物理化学的特性と格別の生物的機能性を発揮することによって、その命を救い、育むことによって生活を助け、時には、少ないない人々に感動を呼び起こさせてきた。
一方で、この技術の周囲では、何が起こっているのであろうか。
かつて、「Japan as No.1」として世界を席巻し、信用を確立してきた企業においては、不正会計、無検査、リコールなどの大問題が噴出し、築いてきた席巻や信用の実績が音を立てて崩れようとしている。
調子がよいだけの「見せかけの迎合」、「疑惑隠しと逃げ」、口先だけの「ごまかし」、「国難」の「すり替え」、悲惨な状況を想定しながら、もっと大きな悲惨を招いてしまった「見通しの甘さ」とその背後に見える「幼児性」など、にぎやかなメディアは、それらの本質までをもリアルに透けて見せているようである。
こうなれば、何を信用し、何を求めていけばよいのであろうか?
それは、確かで、豊かなもの、そして、ゆかいに語ることができるものであるはずである。
本物語を通じて、真にささやかではあるが、爽やかな思いを提供できれば幸いである(つづく)。
紅いチェリーセージのなかに白い花びらのものが咲いていました
これから、しばらくの間、それを記念して「緑砦館物語」を開始します。
本日は、そのプロローグを示しておきましょう。
プロローグ
緑砦館(りょくさいかん)とは、「みどり」を「とりで」にする「やかた」のことである。
具体的には、この度新築した北棟(大成研究所)、南棟(研究室およびデモ用風呂、そして住居)、中庭の植物ハウス(旧大成邸の中庭のハウスも含む)のそれぞれで構成されている。
この命名において「砦」という文字を用いた理由は、ここを、押し寄せてくる「敵」から自分たちを守る拠点にし、同時に、はるか向こうにある敵陣へ攻め込むための武器や食糧を用意することにあった。
また、幼き頃にワクワクしながら視た、黒澤明監督、三船敏郎主演の「隠し砦の三悪人」の「砦」に因んだからでもある。
この映画では、隠し砦のなかに、「金の延べ棒」があり、それが枯れ木のなかに入れて隠されていた。
物語は、この延べ棒が入った材木を、隠し砦から運び出し、味方の陣地まで搬入しようとして、ハラハラドキドキの展開が繰り広げられていきます。
どうやら、この財宝を巡ってのリアルな人間模様を描くことが、この映画の主題のようであった。
それでは、緑の砦における、この模様は、どのように描かれていくのであろうか?
この映画のようにドラマチックで、固唾を飲むようなシーンを十分に描き続けていくことができるのであろうか?
そのことが、この緑砦館において、これから本格的に問われることになることを考えると、小さくない身が引き締まる思いを抱かざるをえない。
この舞台における主役を演ずるのは「光マイクロバブル」である。
その主役の活躍と名演によって、ここに金にも勝る「重要な何か」を見い出すことができるのか、それとも、ドン・キホーテのような「見果てぬ夢」で終わってしまうのか。
ここには、「人生の賭け」に似たものがあるように思われる。
来年の夏には、70歳を迎える。
この大台を前にして、この研究所の事業に挑むことになり、小さくない「ときめき」と「静かな興奮」を隠すことができない。
それでは、この緑砦館で生み出す「重要なもの」とは何か?
読者のみなさんに、それを具体的に想像するとすれば、それは、これまでも述べてきた「ゴールドクラウン」の記事の内容を思い浮かべていただくとよいであろう。
光マイクロバブルは、その優れた物理化学的特性と格別の生物的機能性を発揮することによって、その命を救い、育むことによって生活を助け、時には、少ないない人々に感動を呼び起こさせてきた。
一方で、この技術の周囲では、何が起こっているのであろうか。
かつて、「Japan as No.1」として世界を席巻し、信用を確立してきた企業においては、不正会計、無検査、リコールなどの大問題が噴出し、築いてきた席巻や信用の実績が音を立てて崩れようとしている。
調子がよいだけの「見せかけの迎合」、「疑惑隠しと逃げ」、口先だけの「ごまかし」、「国難」の「すり替え」、悲惨な状況を想定しながら、もっと大きな悲惨を招いてしまった「見通しの甘さ」とその背後に見える「幼児性」など、にぎやかなメディアは、それらの本質までをもリアルに透けて見せているようである。
こうなれば、何を信用し、何を求めていけばよいのであろうか?
それは、確かで、豊かなもの、そして、ゆかいに語ることができるものであるはずである。
本物語を通じて、真にささやかではあるが、爽やかな思いを提供できれば幸いである(つづく)。
紅いチェリーセージのなかに白い花びらのものが咲いていました
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