一昨日は、久しぶりに朝早く「光イクロバブル風呂」に入りました。

 これからは、他のマイクロバブル装置と区別するために「光マイクロバブル」の用語を用います。

 因みに、「光マイクロバブル」は株式会社ナノプラネット研究所が取得している「商標」です

 このところは、夕方か夜になってからの入浴が続いていました。

 また、その日の夕方には足浴実験を行うというので、その被験者の一人になりました。

 その試験は短時間に終わりましたが、せっかくだから、そして、光マイクロバブル浴がとても「ここちよかった」ので、その入浴時間を大幅に延長して寛ぐことにしました。

 「これは気持ちがいいね」、私の脳は、その「ここちよさ」を感知し、その持続を促しているようでした。

 合計で小一時間の入浴になった頃でしょうか。それを終了させ、夕食に臨みました。

 足浴した足が冷えるといけませんので靴下を履きました。

 するとどうでしょう。

 足先から足首にかけてがぽかぽかと温かく、「なんと気持ちの良いことか」と驚きながら、楽しく食事を済ますことができました。

 その後、しばらくして眠気がしてきたので、その日はいつもより早めに床に入りました。

 床入り後、日課となっているのがリハビリ運動であり、覆むけになって両手足の体操を行います。

 屈伸やストレッチを中心にしたメニューが定まっており、それを行っている最中に、家内が様子を見にやってきました。

 足が腫れてむくんでいるときや痛みがあるときには患部のマッサージを手伝っていただいております。

 「今日は、どうですか?」

といわれ、その問題のある患部を押さえられたときに、いつもと異なる驚きの反応が起きました。

 
今日は腫れもなく、問題ないようですよ!」

 こういわれながら、いつも、きまって痛みのある患部を押さえられるのですが、ふしぎなことに、そこには、まったくの痛みがありませんでした。

 これには、私も吃驚仰天。

 「おかしいなぁー、いつもは『いてぇ、いててぇー』と声を上げるほど痛いのに、今日はまったく痛みを感じない」

 しがらく考えて、

 「これは、光マイクロバブルの足浴のせいか。そうに、ちがいない!」


と思いました。

 痛みを覚える患部をどんなに押してもらっても、少しも痛みを感じませんでした。

 足がそうであれば、腕の方はどうであろうか?

 毎日のように腕もマッサージをしていますので、痛みのひどい部分はよく解っています。

 上腕の筋肉の部分、そして肩の付け根、脇の下の周囲の筋肉、これらを押さえると必ず痛みを覚えていたのに、これらにも痛みは少しもありませんでした。

 しかし、いつもの筋肉の凝りはあり、そこをマッサージした時の筋肉の硬さや揉み具合は、いつもと同じなのに、痛みはないのです。

 「なんと、ふしぎなことが起きたことか」

 しかし、そういえば、過去にも、このようなことがあったことを思い出しました。

ーーー そうか、それだけ、痛みを覚えるほどに腫れや凝りが起きていたのか!それに抗して、光マイクロバブルの作用効果が、いかんなく発揮されたということなのか!

と、しみじみ思い知らされることになりました。

ーーー 今日も、光マイクロバブルによって、わが身が助けられたようだ!こんなうれしいことはない。さすが、光マイクロバブルだ!

 ところで、本稿は「私のマイクロバブル研究」の100回記念の記事でした。

 かなり以前から、その記念にふさわしい記事をどう描くかを思案していましたが、その心配は、一昨日の光マイクロバブル足浴体験によって、すっかり霧散してしまいました。

 あれこれと、「案ずるよりも生むが易し」ということになりました。

 振り返ると、「私のマイクロバブル生活研究」の記事を連載し始めたのは、2016年1月12日のことでした。

 以来、約620日を経て、ようやく、その100回記念の日に漕ぎつけることができました。

 長いといえば、相当に長く、本ブログとしては、「国東の食環境」に続くロングランになりました。

 記念の100回を迎えて、「千里の道も一歩から」「塵も積もれば山となる」、これらの諺を思い浮かべることができました。

 さて、次の「千里」、次の「山」は、どこにあるのでしょうか?

 ひとつの峠に辿り着き、ここはしばし休憩し、次の峰をめざす英気を養うことにしましょう。

 「分け入っても 分け入っても 青い山」は、私が長年住んでいた山口県が生み出した吟遊詩人「種田山頭火」の有名な句ですが、これに因めば、

 「分け入っても 分け入っても ますます光マイクロバブル」

と詠めることになりますね(この稿おわり)。
 
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名護のひんぷんガジュマル(45年前に観た時よりも、さらに大きくなっていました)