7月19日の夕方に沖縄入りしてから、20日は身内の法事があり、21日から25日までの5日間、さまざまな方々と面談を行い、調査や意見交換、討議などを行いました。
約1か月半前の6月の訪問の際にも、同じような面談を行いましたので、それらを合わせると、かなりの調査活動を実施し、積み上げることができたといえるでしょう。
今回も、最初にK沖縄国際大学名誉教授に面会し、前回の沖縄訪問以来約1か月にわたって考えてきたことを述べ、それを基本にして存分に討議をすることができました。
二人目の面会者は、沖縄の食と教育に関心を持っておられた女性の大学教授の方でした。
とてもお忙しい方でしたが、電話で面会希望の目的を述べると、わざわざ3時間という長い時間を確保していただくことができました。
早速、家内と一緒に自宅に伺うと、心のこもった「もてなし」を受けました。
ここでの最初の話題は、沖縄のヘチマ栽培と料理に関することであり、そのことにとても関心を示されていました。
沖縄では、昔からヘチマを食べる習慣があり、昨今は人気もあって料理店ではすぐに売り切れてしまうほどで「高級料理」としての仲間入りを果たしています。
とくに、この3年、私自身も大分の国東でヘチマの水耕栽培を始めてからは、さらに高い関心を払うようになってきました。
最初は、ホームセンターでヘチマの苗を1株かったことが「きっかけ」でした。
しかし、そのうちヘチマの苗を買ったことも忘れてしまい、「きゅうりにしては葉っぱが大きく、違うな、いったい何を育てているのだろう」と不思議に思っていました。
「しかし、それにしても蔓が伸びて、よく育つなぁー」と感心していたら、大きな花が咲き、その後には実が生るようになって、「これはヘチマだったのか」と、ようやく理解することができました。
2年目は、近くの高校のバザーでヘチマの苗を売っていると聞いて、5株を手に入れました。
この頃から、ヘチマに関する本格的なマイクロバブル水耕栽培法の研究を開始し、毎年のように栽培法を変えて、その成長の様子を観察するようになりました。
また、その料理法を真面目に検討し始めたきっかけは、2年前にマイクロバブル研究会の席で、ヘチマの煮込み料理を出すと、これが大評判になったことにありました。
「もしかして、ヘチマは、地域づくりの重要なテーマになるかもしれない」
これが「ヘチマの里づくり」をめざす活動に結びついていきました。
以来、今年は、その3年目に突入しています。
K1さんとも、この「ヘチマの里づくり」について話し合い、「東京中のベランダにヘチマが植えられるようになるとよいですね」、「ぜひ、やりましょう」と、意気投合をしたものでした。
その研究成果を踏まえ、昨年からは、「ヘチマの露地栽培とマイクロバブル水耕栽培における成長の具合がかなり違うのではないか」と思うようになり、その比較研究を行う必要があるという認識を深めていました。
そして今年は、その比較研究をさらに現実化しようと、そのマイクロバブル育ちのヘチマの第2号を沖縄に持参し、沖縄のおばあちゃんほか、昔から沖縄のヘチマに慣れ親しんできたみなさんにも食べていただき、その味評価をしていただきました。
「これはおいしいね。沖縄のヘチマよりもいい、上等だよ!」
これが、マイクロバブルヘチマの評価でした。
私も、その試食に加わり、マイクロバブルヘチマには、真に上品なおいしさがあり、これは、2グレードほど上位の味だという結果を得ることができました。
ーーー そうか、やはりそうであったか!
やや説明が長くなりましたが、K教授に、そのことを説明すると、「そのヘチマ、ぜひとも食べてみたいですね」と仰られましたので、帰ってからすぐに送ることを、その場で約束しました。
そして、次のような提案を行いました。
「私どもが育てたマイクロバブルのヘチマは、これまでの沖縄にはなかった新しいヘチマといってもよいでしょう。
それゆえ、このヘチマは新しい商品としての価値を有していますので、ここからヘチマのニュービジネス論を創造することができ、その確立を行うことも可能になります。
これは学生のみなさまにとっても生きた題材になり、食材として自分で確かめることも可能になります」
K教授は、目を輝かせ、ますます前のめりになって耳を傾けられていました。
「私の親しい友人に、食と教育の問題に熱心に取り組まれている議員がいます。ぜひ彼女に会っていただきたいと思いますがいかがですか?」
もちろん、二つ返事で、この提案を承知いたしました。
K教授との懇談は、そのヘチマから始まって、次の「沖縄の野菜事情」に移っていきました(つづく)。
沖縄恩納村道の駅「おんな」の傍のヤシの樹
約1か月半前の6月の訪問の際にも、同じような面談を行いましたので、それらを合わせると、かなりの調査活動を実施し、積み上げることができたといえるでしょう。
今回も、最初にK沖縄国際大学名誉教授に面会し、前回の沖縄訪問以来約1か月にわたって考えてきたことを述べ、それを基本にして存分に討議をすることができました。
二人目の面会者は、沖縄の食と教育に関心を持っておられた女性の大学教授の方でした。
とてもお忙しい方でしたが、電話で面会希望の目的を述べると、わざわざ3時間という長い時間を確保していただくことができました。
早速、家内と一緒に自宅に伺うと、心のこもった「もてなし」を受けました。
ここでの最初の話題は、沖縄のヘチマ栽培と料理に関することであり、そのことにとても関心を示されていました。
沖縄では、昔からヘチマを食べる習慣があり、昨今は人気もあって料理店ではすぐに売り切れてしまうほどで「高級料理」としての仲間入りを果たしています。
とくに、この3年、私自身も大分の国東でヘチマの水耕栽培を始めてからは、さらに高い関心を払うようになってきました。
最初は、ホームセンターでヘチマの苗を1株かったことが「きっかけ」でした。
しかし、そのうちヘチマの苗を買ったことも忘れてしまい、「きゅうりにしては葉っぱが大きく、違うな、いったい何を育てているのだろう」と不思議に思っていました。
「しかし、それにしても蔓が伸びて、よく育つなぁー」と感心していたら、大きな花が咲き、その後には実が生るようになって、「これはヘチマだったのか」と、ようやく理解することができました。
2年目は、近くの高校のバザーでヘチマの苗を売っていると聞いて、5株を手に入れました。
この頃から、ヘチマに関する本格的なマイクロバブル水耕栽培法の研究を開始し、毎年のように栽培法を変えて、その成長の様子を観察するようになりました。
また、その料理法を真面目に検討し始めたきっかけは、2年前にマイクロバブル研究会の席で、ヘチマの煮込み料理を出すと、これが大評判になったことにありました。
「もしかして、ヘチマは、地域づくりの重要なテーマになるかもしれない」
これが「ヘチマの里づくり」をめざす活動に結びついていきました。
以来、今年は、その3年目に突入しています。
K1さんとも、この「ヘチマの里づくり」について話し合い、「東京中のベランダにヘチマが植えられるようになるとよいですね」、「ぜひ、やりましょう」と、意気投合をしたものでした。
その研究成果を踏まえ、昨年からは、「ヘチマの露地栽培とマイクロバブル水耕栽培における成長の具合がかなり違うのではないか」と思うようになり、その比較研究を行う必要があるという認識を深めていました。
そして今年は、その比較研究をさらに現実化しようと、そのマイクロバブル育ちのヘチマの第2号を沖縄に持参し、沖縄のおばあちゃんほか、昔から沖縄のヘチマに慣れ親しんできたみなさんにも食べていただき、その味評価をしていただきました。
「これはおいしいね。沖縄のヘチマよりもいい、上等だよ!」
これが、マイクロバブルヘチマの評価でした。
私も、その試食に加わり、マイクロバブルヘチマには、真に上品なおいしさがあり、これは、2グレードほど上位の味だという結果を得ることができました。
ーーー そうか、やはりそうであったか!
やや説明が長くなりましたが、K教授に、そのことを説明すると、「そのヘチマ、ぜひとも食べてみたいですね」と仰られましたので、帰ってからすぐに送ることを、その場で約束しました。
そして、次のような提案を行いました。
「私どもが育てたマイクロバブルのヘチマは、これまでの沖縄にはなかった新しいヘチマといってもよいでしょう。
それゆえ、このヘチマは新しい商品としての価値を有していますので、ここからヘチマのニュービジネス論を創造することができ、その確立を行うことも可能になります。
これは学生のみなさまにとっても生きた題材になり、食材として自分で確かめることも可能になります」
K教授は、目を輝かせ、ますます前のめりになって耳を傾けられていました。
「私の親しい友人に、食と教育の問題に熱心に取り組まれている議員がいます。ぜひ彼女に会っていただきたいと思いますがいかがですか?」
もちろん、二つ返事で、この提案を承知いたしました。
K教授との懇談は、そのヘチマから始まって、次の「沖縄の野菜事情」に移っていきました(つづく)。
沖縄恩納村道の駅「おんな」の傍のヤシの樹
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