先週の土曜日の夜、マイクロバブル仲間のK1(木原英雄)さんが逝かれたとの連絡が入りました。
近年では、メイルをやり取りし、電話でも大いに話し合っていた最も親しい友人の一人でした。
しかし、最近は、やっかいな病気に苛(さいな)まれ、入退院を繰り返されていました。
また、先日は元NHKカメラマンの技量を生かして、ある歌手の再起に関する撮影にも取り組まれたようでした。
今は、その病気からも解放されて、天国で心安らかに過ごされていると思われます。
どうか、新たな世界においても、あなたの信条のようにゆかいに棲みなしていただきたいと思います。
かれとの最初の出会いは、2001年における英虞湾でのNHK「おはよう日本」における取材の時でした。
たしか1月の寒い時期で、この海に潜って撮影すると聞いてNHKの意気込みを感じました。
撮影時間は20分、大きな筒状のハイビジョンカメラで撮影が行われていました。
このとき、助手のカメラマンが山口放送局から来られた方で、その若いカメラマンから、撮影を終えた後で、おいしそうに熱いコーヒーを飲んでいたK1さんを見ながら、このように事前の注意を受けました。
「先生、あの方はNHK本局のカメラマンのなかで一番気難しい方ですので、どうか、お願いですから、言葉使いに気をつけてくださいね」
「そうですか。わかりました」
どんなに気難しいのか、私としては興味津々で、かれと一緒の夕食会に臨みました。
その日の撮影が上手くいったからでしょうか。
その時のK1さんは、非常に上機嫌で話をなされていました。
内心、「どこが気難しい人なのか」と思いながら、かれとは、イワシと泡の話で大いに盛り上がりました。
私は、マイクロバブル水槽でイワシを飼ったときの体験談、かれは、泡の出ない潜水具でイワシの撮影ができるようになったことを互いに紹介し合い、相互理解を深めることができました。
もちろん、気難しい話は一切なしで、かれの要望通り、無事楽しい食事を終えることができました。
その後、しばらくして当時のNHK山口支局長と面談したときに、K1さんの話になり、その支局長が、その場で、かれに電話をかけてしまいました。
電話の向こうでしたが、その再会を互いに喜び合いました。
このとき、かれは非常に機嫌よく、私が拙著『マイクロバブルのすべて』にサインした日付が丁度かれの誕生日だったこともあって、それをうれしがって、近々東京で再会することを約束し合いました。
そのかれとは、飯田橋のパレスホテルのロビーで再会しました。
このとき、私が驚いたのは、かれが非常に老けていたことでした。よく観ると、顔や腕の至る所に湿疹ができていて、まるで別人ではないかと、自分の目を疑うほどでした。
「いったい、どうされたのですか?」
「これは、ゴムアレルギーでできた湿疹です。治らずに困っています」
私も見るに見かね、次のように尋ねました。
「もし、よろしければ、マイクロバブル入浴をなさってはどうでしょうか?私も皮膚が弱く、いつも助けられています。水と空気だけの入浴ですから安全です。試してみるとよいですよ」
後に、かれは「藁をも掴む気持ちで、私の提案を受け入れた」と仰られていました。
かれのゴムアレルギーによる湿疹は、マイクロバブル入浴の開始から1週間目で軽減し始め、2週間目には、その湿疹がほとんど消えて無くなりました。
あれほど苦しんでいた痒さが完全に消えて無くなったのですから、驚いたのは、当のご本人でした。
「先生、あれほどしつこかった湿疹が、おかげでみごとに消えてなくなりました。ありがとうございました」
「それは、それはよかったですね!」
この経験を通じて、かれはすっかりマイクロバブルのファンになっていきました。
私が、何か新しいことを始めると、すぐに興味を示され、時にはメイルを通じて理解を深め、さらに毎日のように電話がかかってくることもありました。
もちろん、上京の度に面会し、マイクロバブル談議に花を咲かせることもよくありました。
こうして、かれは、私が呼ぶ「マイクロバブル仲間」の一員になり、いつしか、かれのことを本ブログ上で「K1さん」と呼ぶようになりました。
これから、そのK1さんとの思い出を振り返り、数々のご支援とご協力をいただいたことに対して深甚の感謝の念を捧げることにしましょう。
K1さん、これからしばらくの間、あなたとともに思い出を蘇させることにしましょう。
どうか、お付き合いのほどをよろしくお願いいたします(つづく)。
アコヤガイ筏におけるマイクロバブルの発生(三重県英虞湾)
近年では、メイルをやり取りし、電話でも大いに話し合っていた最も親しい友人の一人でした。
しかし、最近は、やっかいな病気に苛(さいな)まれ、入退院を繰り返されていました。
また、先日は元NHKカメラマンの技量を生かして、ある歌手の再起に関する撮影にも取り組まれたようでした。
今は、その病気からも解放されて、天国で心安らかに過ごされていると思われます。
どうか、新たな世界においても、あなたの信条のようにゆかいに棲みなしていただきたいと思います。
かれとの最初の出会いは、2001年における英虞湾でのNHK「おはよう日本」における取材の時でした。
たしか1月の寒い時期で、この海に潜って撮影すると聞いてNHKの意気込みを感じました。
撮影時間は20分、大きな筒状のハイビジョンカメラで撮影が行われていました。
このとき、助手のカメラマンが山口放送局から来られた方で、その若いカメラマンから、撮影を終えた後で、おいしそうに熱いコーヒーを飲んでいたK1さんを見ながら、このように事前の注意を受けました。
「先生、あの方はNHK本局のカメラマンのなかで一番気難しい方ですので、どうか、お願いですから、言葉使いに気をつけてくださいね」
「そうですか。わかりました」
どんなに気難しいのか、私としては興味津々で、かれと一緒の夕食会に臨みました。
その日の撮影が上手くいったからでしょうか。
その時のK1さんは、非常に上機嫌で話をなされていました。
内心、「どこが気難しい人なのか」と思いながら、かれとは、イワシと泡の話で大いに盛り上がりました。
私は、マイクロバブル水槽でイワシを飼ったときの体験談、かれは、泡の出ない潜水具でイワシの撮影ができるようになったことを互いに紹介し合い、相互理解を深めることができました。
もちろん、気難しい話は一切なしで、かれの要望通り、無事楽しい食事を終えることができました。
その後、しばらくして当時のNHK山口支局長と面談したときに、K1さんの話になり、その支局長が、その場で、かれに電話をかけてしまいました。
電話の向こうでしたが、その再会を互いに喜び合いました。
このとき、かれは非常に機嫌よく、私が拙著『マイクロバブルのすべて』にサインした日付が丁度かれの誕生日だったこともあって、それをうれしがって、近々東京で再会することを約束し合いました。
そのかれとは、飯田橋のパレスホテルのロビーで再会しました。
このとき、私が驚いたのは、かれが非常に老けていたことでした。よく観ると、顔や腕の至る所に湿疹ができていて、まるで別人ではないかと、自分の目を疑うほどでした。
「いったい、どうされたのですか?」
「これは、ゴムアレルギーでできた湿疹です。治らずに困っています」
私も見るに見かね、次のように尋ねました。
「もし、よろしければ、マイクロバブル入浴をなさってはどうでしょうか?私も皮膚が弱く、いつも助けられています。水と空気だけの入浴ですから安全です。試してみるとよいですよ」
後に、かれは「藁をも掴む気持ちで、私の提案を受け入れた」と仰られていました。
かれのゴムアレルギーによる湿疹は、マイクロバブル入浴の開始から1週間目で軽減し始め、2週間目には、その湿疹がほとんど消えて無くなりました。
あれほど苦しんでいた痒さが完全に消えて無くなったのですから、驚いたのは、当のご本人でした。
「先生、あれほどしつこかった湿疹が、おかげでみごとに消えてなくなりました。ありがとうございました」
「それは、それはよかったですね!」
この経験を通じて、かれはすっかりマイクロバブルのファンになっていきました。
私が、何か新しいことを始めると、すぐに興味を示され、時にはメイルを通じて理解を深め、さらに毎日のように電話がかかってくることもありました。
もちろん、上京の度に面会し、マイクロバブル談議に花を咲かせることもよくありました。
こうして、かれは、私が呼ぶ「マイクロバブル仲間」の一員になり、いつしか、かれのことを本ブログ上で「K1さん」と呼ぶようになりました。
これから、そのK1さんとの思い出を振り返り、数々のご支援とご協力をいただいたことに対して深甚の感謝の念を捧げることにしましょう。
K1さん、これからしばらくの間、あなたとともに思い出を蘇させることにしましょう。
どうか、お付き合いのほどをよろしくお願いいたします(つづく)。
アコヤガイ筏におけるマイクロバブルの発生(三重県英虞湾)
コメント
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人と人との出会いほどわからないことはありませんね。偶然なのか必然なのか?大切にしたいものですね。ただ、適当に長く生きていますと、会わなかった方がよかったような輩もいたりするものです。偶然か必然か?これもよくわかりませんね。
諸行無常。人間をやっていますと、こういった別れはつきものでありますが、ドクターもそろそろ大台にイーシャンテンかリーチであります。ご自愛ください。ではでは。