わが家の隣の空き地は約110坪、今度の新築案においては、これを北から順に新住居、新ハウス、研究所に分かれ、それぞれ面積においては3等分になります。
なぜ、今、そのような建築を行うのか?
これは常識では考えられないことであり、その非常識を、まず少々説明しておく必要があります。
読者のみなさまも含めて、なぜそのような新築を敢行するのか?
次のような疑問がすぐに湧いてきます。
①我が家は5年前に新築したばかり、今の住居に不満があるわけでもないのに、どうして新居に移り住むのか?
②齢70に近くなって、新たに研究所をどうして設立するのか?
③その研究所の名前に、どうして自分の姓を付けるのか?
④ハウスは何のために、どのように造るのか?
⑤(株)ナノプラネット研究所、株式会社ナノプラネットという2つの会社との関係はどうなるのか?
⑥そもそも、なぜ今なのか?
加えて、周囲の賛同は得られているのか、肝心の資金はあるのかなど、当然のことながら、たくさんの疑問が湧いてきます。
「それでも、自前の研究所を創る?ちょっとあなたは変わっていますね」
思わず、こういわれてしまいそうです。
「変わり者?」
そうかもしれませんね!
たしかに、このような無茶苦茶を行う人は、世間に多くはいないでしょう。
上記①については、たしかに、今の住居に満足しているのですから、新たに新居を設けることはほとんど視野にない、すなわち「あり得ない」ことでした。
ところが、成り行きとは恐ろしいもので、なぜか、それがとんとんと進展していくことになりました。
最初のきっかけは、2013年1月末に入院したときのことでした。
なぜか、その理由は未だに明確ではありませんが、この入院直後に、隣の空き地を購入するように家族に依頼しました。
何らかの生死にかかわる危機感がそうさせたのでしょうか。
いわれた家族の方は、すぐに土地の購入手続きをしてくださいました。
ここの住宅内規では、土地購入後5年以内に家屋を建てることになっていましたので、それ以降は、その5年期限を頭の隅には置いていました。
ーーー しかし、すぐには無理であろう。第一、肝心かなめの資金の目途が立っていない。
これでは建てようがない、そう思っていました。
ところが、2016年4月の熊本・大分地震で事情が変わり始めました。
別府に住む身内のところに立ち寄ると、直接の大きな被害はなかったものの地震で心配の日々を過ごしていたとのことでした。
最初は、この身内と一緒に共同で新居を建てようかという話になり、現在の私邸の建築設計を行ったYさんに、その相談を行いました。
この案は、北側に住居部分、南側にセミナー室や倉庫、資料室、中庭にハウスなどを設けるというもので、住居部分にはその身内が住み、南側とハウスは私どもが利用するというものでした。
しかし、この案は、その身内が指定した期日までに建物が間に合わないという理由で、結局のところ頓挫してしまうことになりました。
普通には、これで新築の話は終わりなのですが、そうにはなりませんでした。
建築士のYさんには、このとん挫の結果を知らせ、次のように付け加えました。
「せっかくのことですから、今度は自分たちが住むとしたら、どんな家がよいのかを改めて考えてみたいと思います。ハウスやセミナー室についても熟考してみますので、それでよいでしょうか?」
もちろんYさんの返事は了であり、それ以来約1年弱にわたって本気の検討が続くことになりました。
今度は、家族を含めてのみんなの手による家の設計といえ、時には喧々諤々(けんけんがくがく)、アイデアを描いては修正するという作業が幾度も繰り返されました。
その過程でのことを踏まえながら、次回は上記の6つの疑問についてより詳しく分け入ることにしましょう(つづく)。
現在の家屋(手前が(株)ナノプラネット研究所、奥が住居)
なぜ、今、そのような建築を行うのか?
これは常識では考えられないことであり、その非常識を、まず少々説明しておく必要があります。
読者のみなさまも含めて、なぜそのような新築を敢行するのか?
次のような疑問がすぐに湧いてきます。
①我が家は5年前に新築したばかり、今の住居に不満があるわけでもないのに、どうして新居に移り住むのか?
②齢70に近くなって、新たに研究所をどうして設立するのか?
③その研究所の名前に、どうして自分の姓を付けるのか?
④ハウスは何のために、どのように造るのか?
⑤(株)ナノプラネット研究所、株式会社ナノプラネットという2つの会社との関係はどうなるのか?
⑥そもそも、なぜ今なのか?
加えて、周囲の賛同は得られているのか、肝心の資金はあるのかなど、当然のことながら、たくさんの疑問が湧いてきます。
「それでも、自前の研究所を創る?ちょっとあなたは変わっていますね」
思わず、こういわれてしまいそうです。
「変わり者?」
そうかもしれませんね!
たしかに、このような無茶苦茶を行う人は、世間に多くはいないでしょう。
上記①については、たしかに、今の住居に満足しているのですから、新たに新居を設けることはほとんど視野にない、すなわち「あり得ない」ことでした。
ところが、成り行きとは恐ろしいもので、なぜか、それがとんとんと進展していくことになりました。
最初のきっかけは、2013年1月末に入院したときのことでした。
なぜか、その理由は未だに明確ではありませんが、この入院直後に、隣の空き地を購入するように家族に依頼しました。
何らかの生死にかかわる危機感がそうさせたのでしょうか。
いわれた家族の方は、すぐに土地の購入手続きをしてくださいました。
ここの住宅内規では、土地購入後5年以内に家屋を建てることになっていましたので、それ以降は、その5年期限を頭の隅には置いていました。
ーーー しかし、すぐには無理であろう。第一、肝心かなめの資金の目途が立っていない。
これでは建てようがない、そう思っていました。
ところが、2016年4月の熊本・大分地震で事情が変わり始めました。
別府に住む身内のところに立ち寄ると、直接の大きな被害はなかったものの地震で心配の日々を過ごしていたとのことでした。
最初は、この身内と一緒に共同で新居を建てようかという話になり、現在の私邸の建築設計を行ったYさんに、その相談を行いました。
この案は、北側に住居部分、南側にセミナー室や倉庫、資料室、中庭にハウスなどを設けるというもので、住居部分にはその身内が住み、南側とハウスは私どもが利用するというものでした。
しかし、この案は、その身内が指定した期日までに建物が間に合わないという理由で、結局のところ頓挫してしまうことになりました。
普通には、これで新築の話は終わりなのですが、そうにはなりませんでした。
建築士のYさんには、このとん挫の結果を知らせ、次のように付け加えました。
「せっかくのことですから、今度は自分たちが住むとしたら、どんな家がよいのかを改めて考えてみたいと思います。ハウスやセミナー室についても熟考してみますので、それでよいでしょうか?」
もちろんYさんの返事は了であり、それ以来約1年弱にわたって本気の検討が続くことになりました。
今度は、家族を含めてのみんなの手による家の設計といえ、時には喧々諤々(けんけんがくがく)、アイデアを描いては修正するという作業が幾度も繰り返されました。
その過程でのことを踏まえながら、次回は上記の6つの疑問についてより詳しく分け入ることにしましょう(つづく)。
現在の家屋(手前が(株)ナノプラネット研究所、奥が住居)
コメント
コメント一覧