この数日間、気温が上昇し、温かくなってきました。とくに、最低気温が急上昇してきましたので中庭で育てている野菜たちも、よりすくすくと成長し始めました。
植物にとっては、気温が低いことが大きな障害であり、これから解放されることを、今か、今かと待ち望んでいたのではないかと思われます。
国東に来て丸5年が経過し、その間、中庭での野菜づくりに励んでまいりました。
素人ながらの農業でしたので、過誤や試行錯誤ばかりでしたが、何とか、ここまでこれたのもマイクロバブル技術のおかげでした。
そして昨年から、今年にかけては、いくつかの成果も出始め、それが今日に繫がっています。
当初の野菜作りの目標は、「いかにして生産性を向上させるか」にありました。
露地栽培との比較を意識するあまり、その成長日数が気になっていました。
たしかに、マイクロバブルによる野菜栽培は、露地栽培に比べてより優れていましたが、それが驚くほどではありませんでした。
その理由が、わが家の中庭のハウスや装置の条件に依存していたことに気づいたのは、それからしばらくしてからのことでした。
その最大の問題は、日照不足と装置の能力にありました。
じつは、これらがともに優れたところで試験栽培を行ったところ、その生産性においてまるで違う結果が出てきましたので、その問題が明瞭になりました。
もう一つの重要な解明は、生産性における量的な問題ではなく、質的なことでした。
だれしも、おいしくて安全な野菜を食べたい、こう思って、圧倒的多数の方々が、それにふさわしい野菜を探し、買い求めておられます。
先日の東京での一人暮らしの女性二人が、半分されたキャベツを買い、野菜といえば、それを千切りして食べている、他の野菜は高くて買えない、このように仰らていましたが、安全で新鮮、おいしい野菜は高くて買えない、ここにも小さくない問題が横たわっています。
そんな彼女らに、わが家の野菜が出されたそうで、「飛び上がるように喜び」、「飢えていたように食べていた」、そうでした。
そして、最後にHさんの塩トマトを残して、「感激しながら食べていた」とのことでした。
これが、最も多くの方々の野菜事情です。
さて、その質的問題に分け入っていくと、その究極の目標は、「いかにして新鮮なおいしい野菜を作るか」にありました。
それは、不純なものが入り込まず、そして本来の野菜のエキスを十分に確保できる栽培上の知恵と工夫の問題に関係していました。
当然のことながら、新鮮でおいしい、さらには安全な野菜づくりは、市販されている野菜との比較においてなされることになりました。
地元国東においても、その市販野菜には、何か嫌味や渋みがあり、違和感を覚えました。
それを平たくいえば、「おいしくない」、「たくさん食べることができない」、「魅力を感じない」ということでした。
なぜなのか?
その原因を突き詰め、心の奥底から納得できたのは、自分で無農薬のマイクロバブル野菜を食べ始め、そのおいしさと安全性を確かめたときでした。
「そうか、農薬が野菜をこんなにまずくしていたのか!」
これに気づいてからは、市販の野菜をほとんど食べなくなりました。
そのおかげで、私の舌も、そのおいしくなさ、安全性のなさを知覚できるようになり、そのことで、ますます市販の野菜の摂取を遠ざけていくことになりました。
私の指向は、必然的に無農薬野菜づくりに向かっていきましたが、これには難敵たちが待ち構えていました。
新鮮でおいしい野菜を作れば作るほど、それはかれらの独壇場になっていきました。
最初の難敵はナメクジでした。
その撃退法を知らないうちは、そのこそ毎晩のようにハウスに入り、10匹、20匹と摘み上げていました。
しかし、これでは対処療法にしかならず、いろいろと試した結果、ナメクジ撃退法を見出し、今ではほとんど出てこないようになりました。
なにせ、周囲の緑地にはわんさとナメクジが生息していますので、この撃退にはわたくしなりにかなりの時間を要してしまいました。
次の大敵はアブラムシです。これとは、それこそ「仁義なき戦い」をいまだに続けています。
それとの戦いの詳細については、次回に紹介することにしましょう(つづく)。
一才桜(旭山)が開花しました
植物にとっては、気温が低いことが大きな障害であり、これから解放されることを、今か、今かと待ち望んでいたのではないかと思われます。
国東に来て丸5年が経過し、その間、中庭での野菜づくりに励んでまいりました。
素人ながらの農業でしたので、過誤や試行錯誤ばかりでしたが、何とか、ここまでこれたのもマイクロバブル技術のおかげでした。
そして昨年から、今年にかけては、いくつかの成果も出始め、それが今日に繫がっています。
当初の野菜作りの目標は、「いかにして生産性を向上させるか」にありました。
露地栽培との比較を意識するあまり、その成長日数が気になっていました。
たしかに、マイクロバブルによる野菜栽培は、露地栽培に比べてより優れていましたが、それが驚くほどではありませんでした。
その理由が、わが家の中庭のハウスや装置の条件に依存していたことに気づいたのは、それからしばらくしてからのことでした。
その最大の問題は、日照不足と装置の能力にありました。
じつは、これらがともに優れたところで試験栽培を行ったところ、その生産性においてまるで違う結果が出てきましたので、その問題が明瞭になりました。
もう一つの重要な解明は、生産性における量的な問題ではなく、質的なことでした。
だれしも、おいしくて安全な野菜を食べたい、こう思って、圧倒的多数の方々が、それにふさわしい野菜を探し、買い求めておられます。
先日の東京での一人暮らしの女性二人が、半分されたキャベツを買い、野菜といえば、それを千切りして食べている、他の野菜は高くて買えない、このように仰らていましたが、安全で新鮮、おいしい野菜は高くて買えない、ここにも小さくない問題が横たわっています。
そんな彼女らに、わが家の野菜が出されたそうで、「飛び上がるように喜び」、「飢えていたように食べていた」、そうでした。
そして、最後にHさんの塩トマトを残して、「感激しながら食べていた」とのことでした。
これが、最も多くの方々の野菜事情です。
さて、その質的問題に分け入っていくと、その究極の目標は、「いかにして新鮮なおいしい野菜を作るか」にありました。
それは、不純なものが入り込まず、そして本来の野菜のエキスを十分に確保できる栽培上の知恵と工夫の問題に関係していました。
当然のことながら、新鮮でおいしい、さらには安全な野菜づくりは、市販されている野菜との比較においてなされることになりました。
地元国東においても、その市販野菜には、何か嫌味や渋みがあり、違和感を覚えました。
それを平たくいえば、「おいしくない」、「たくさん食べることができない」、「魅力を感じない」ということでした。
なぜなのか?
その原因を突き詰め、心の奥底から納得できたのは、自分で無農薬のマイクロバブル野菜を食べ始め、そのおいしさと安全性を確かめたときでした。
「そうか、農薬が野菜をこんなにまずくしていたのか!」
これに気づいてからは、市販の野菜をほとんど食べなくなりました。
そのおかげで、私の舌も、そのおいしくなさ、安全性のなさを知覚できるようになり、そのことで、ますます市販の野菜の摂取を遠ざけていくことになりました。
私の指向は、必然的に無農薬野菜づくりに向かっていきましたが、これには難敵たちが待ち構えていました。
新鮮でおいしい野菜を作れば作るほど、それはかれらの独壇場になっていきました。
最初の難敵はナメクジでした。
その撃退法を知らないうちは、そのこそ毎晩のようにハウスに入り、10匹、20匹と摘み上げていました。
しかし、これでは対処療法にしかならず、いろいろと試した結果、ナメクジ撃退法を見出し、今ではほとんど出てこないようになりました。
なにせ、周囲の緑地にはわんさとナメクジが生息していますので、この撃退にはわたくしなりにかなりの時間を要してしまいました。
次の大敵はアブラムシです。これとは、それこそ「仁義なき戦い」をいまだに続けています。
それとの戦いの詳細については、次回に紹介することにしましょう(つづく)。
一才桜(旭山)が開花しました
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