本日は3連休の最終日、これも「日曜日の朝」のようなものですので、昨日の続きを認めることにしましょう。
先ほどのテレビニュースでは、昨日は「地下鉄サリン事件」から22年目だということで、その追悼の様子が報じられていました。
この年は、阪神淡路大震災、そしてこの事件と、大きな出来事が立て続けに起きていました。
このとき、私どもは、海の向こうのドイツで生活をしていましたので、その被災に心を痛め、そしてその事件は、「なぜ起こったのか?」と思いながら、その真相をよく理解することができませんでした。
「家族や親せきは大丈夫か?」と同僚のドイツ人に尋ねられたことを思い出します。
その後、帰国して、あれから1年、2年と数えてきましたが、もう22年も経ったのですね。
早いもので、「光陰矢の如し」です。
さて、やや古い話ですが、ドイツでの家族の生活によって、私どもは、大きく変化していく「きっかけ」を掴(つかむ)むことができました。
その意味で、貴重な経験を家族みんなで味わうことになりました。
それは、私にとってもそうであり、ここが、この22年間の原点になったといってもよいでしょう。
それは、余裕のない生活を送っていたことを反省し、身体と心の豊かさを取り戻したことであり、その過程で、いわば、「豊かさとは何か」を深く探究させる出来事でもありました。
同名の暉峻淑子による名著『豊かさとは何か』は、1989年に発行されましたが、彼女とほぼ同じ時期に、私どもも、同じドイツ留学において感じていたことでした。
当時のドイツでは、貨幣がマルクの時代で、ヨーロッパでは、その豊かさの恩恵を一番受けた国でした。
そのころから消費税があり、その税率は15%でした。
今の日本が8%ですから、15%というと、「これは生きていけない」と思うほどの重税感を覚えることでしょう。
ところが、そのドイツにおいては、そのような「生きていけない」という生活感覚はまったくありませんでした。
それはなぜかというと、生鮮食料品には、もともと消費税がかからない、これが当たり前だったのでした。
ですから、生活するには、ほとんど困らない、これがドイツの消費税であり、生活苦の大元になっている日本の消費税とはまるで違っていました。
8%から10%への値上げを検討する際に、食料品を8%据え置きをする「軽減税率」案が出されてきましたが、これこそ姑息で、どこまでも税金で搾り上げてしまおうという魂胆が見え見えの税構想でした。
ですから、私たちも、そのドイツに住んでみて、その豊かさを実感することができました。
市場にいけば、たとえば大きなキャベツ(直径30~40㎝。ドイツ語ではコールといい、時の首相は、このキャベツと同名であった)がいくつも店頭にならび、それが甘くておいしかったことを思い出します。
それから、ミカンはスペイン産、地元産では、チーズ、ソーセージ、そしてパンもすばらしく、これらもかれらの生活の豊かさを表していました。
この「豊かさ」とは、価格が高いという意味ではなく、逆に、「安くて豊か」ということであり、そのことをまざまざと生活実感を通して感じることができました。
たとえば、缶ビールは60円前後(同じサイズの日本の缶ビールは220円でした)、ワインであれば、4マルク(日本円で240円)も出せば、名産地のおいしいワインを買うことができました。
私は、「ささやかな贅沢(ぜいたく)」として、通販でワインを購入することを楽しみにしていて、1000円前後でも、大変立派でおいしいワインを手に入れることができています。
これは、その生産地においては、ワインがいまだに安く売られていることから、その購入が可能になることを示唆しており、これに対し、日本のワインメーカーは、それを高くしないとやっていけない事情があり、結果として、その販売競争に負けてしまうという事態になっています。
ドイツでは、ビールよりもワインがよく飲まれていますので、それこそ、かれらの生活用品のひとつがワインであり、それが消費税によって高くされることは、かれらにとって到底受け入れられないことなのです。
それに対して日本は、どうでしょうか。
なにもかもに重税が覆いかぶさり、豊かさを感じるどことか、多くの人々が生活苦を感じるよのなかになっています。
「これで、よいわけがない!」
これは、多くのみなさんが感じている生活感ではないでしょうか。
ドイツにおける生活のしやすさを深く実感するようになり、それがなぜなのかを追究するようになりました。
まずは、その食べ物比較がわかりやすく、それを記録していきました。
ここでは、その典型例として、当時、「ドイツで一番」といわれていた「コロン」というケーキ屋さんのケーキを紹介しておきましょう。
この「一番」は本当かと疑っていましたが、実際に「ミュンヘン一(いち)」、「ベルリン一」と呼ばれていたケーキ屋のケーキと比較して、たしかに、コロンの方が上だと思ったこともありました。
この店でのショートケーキが3~4マルク(240~320円)でした。
たてば、私の好きなチョコレートケーキは10段重ねで大そう立派なものでした。
ババロアとバウムクーヘンがセットになったケーキも感激するような味であり、4マルク程度でした。
これを日本と比較しますと、その値段においては軽く2、3倍、味においては、とても敵わない、ということができるでしょう。
本物のチョコレートや本場のバウムクーヘンの味ですから、そのような軍配を挙げてしまわざるをえません。
研究所の若手を誘って、このケーキ屋によくいきましたが、かれらは喜んでついてきました。
そこで、コーヒーとケーキを食べながらよく話に出てきたのが、かれらの昼飯代であり、それは、みな同じで約1マルク(80円)でした。
その1マルクで何を買うのかと尋ねたら、砂糖を被せたパンがあり、それをよく買って食べるのだそうでした。
そこで、このパンをよく買っては、かれらにプレゼントして喜ばれました。
ですから、ケーキとコーヒーで、それぞれ4マルクというのは、それこそ月に1度の贅沢でも無理な話でした。
それから、このコロンのケーキをお祝いに持っていくと、いつも大喜びで大歓迎されました。
まだまだ、たくさんのおもしろい話がありますが、この辺で、このドイツの話は終わりにしておきましょう。
さて、日本の現実に戻りますが、国東にきて、そのドイツの豊かさのことを思い出すことになりました。
「まさか、あのドイツと同じような豊かさが、この国東にあったのか?」
これは驚きとともに、感激でもありました。
「やはり、この地を住処として選んだことには、間違いがなかった」
こう思うと、「国東の豊かさとは何か」、これをますます追究することに力を込めるようになりました(つづく)。
クレソン
先ほどのテレビニュースでは、昨日は「地下鉄サリン事件」から22年目だということで、その追悼の様子が報じられていました。
この年は、阪神淡路大震災、そしてこの事件と、大きな出来事が立て続けに起きていました。
このとき、私どもは、海の向こうのドイツで生活をしていましたので、その被災に心を痛め、そしてその事件は、「なぜ起こったのか?」と思いながら、その真相をよく理解することができませんでした。
「家族や親せきは大丈夫か?」と同僚のドイツ人に尋ねられたことを思い出します。
その後、帰国して、あれから1年、2年と数えてきましたが、もう22年も経ったのですね。
早いもので、「光陰矢の如し」です。
さて、やや古い話ですが、ドイツでの家族の生活によって、私どもは、大きく変化していく「きっかけ」を掴(つかむ)むことができました。
その意味で、貴重な経験を家族みんなで味わうことになりました。
それは、私にとってもそうであり、ここが、この22年間の原点になったといってもよいでしょう。
それは、余裕のない生活を送っていたことを反省し、身体と心の豊かさを取り戻したことであり、その過程で、いわば、「豊かさとは何か」を深く探究させる出来事でもありました。
同名の暉峻淑子による名著『豊かさとは何か』は、1989年に発行されましたが、彼女とほぼ同じ時期に、私どもも、同じドイツ留学において感じていたことでした。
当時のドイツでは、貨幣がマルクの時代で、ヨーロッパでは、その豊かさの恩恵を一番受けた国でした。
そのころから消費税があり、その税率は15%でした。
今の日本が8%ですから、15%というと、「これは生きていけない」と思うほどの重税感を覚えることでしょう。
ところが、そのドイツにおいては、そのような「生きていけない」という生活感覚はまったくありませんでした。
それはなぜかというと、生鮮食料品には、もともと消費税がかからない、これが当たり前だったのでした。
ですから、生活するには、ほとんど困らない、これがドイツの消費税であり、生活苦の大元になっている日本の消費税とはまるで違っていました。
8%から10%への値上げを検討する際に、食料品を8%据え置きをする「軽減税率」案が出されてきましたが、これこそ姑息で、どこまでも税金で搾り上げてしまおうという魂胆が見え見えの税構想でした。
ですから、私たちも、そのドイツに住んでみて、その豊かさを実感することができました。
市場にいけば、たとえば大きなキャベツ(直径30~40㎝。ドイツ語ではコールといい、時の首相は、このキャベツと同名であった)がいくつも店頭にならび、それが甘くておいしかったことを思い出します。
それから、ミカンはスペイン産、地元産では、チーズ、ソーセージ、そしてパンもすばらしく、これらもかれらの生活の豊かさを表していました。
この「豊かさ」とは、価格が高いという意味ではなく、逆に、「安くて豊か」ということであり、そのことをまざまざと生活実感を通して感じることができました。
たとえば、缶ビールは60円前後(同じサイズの日本の缶ビールは220円でした)、ワインであれば、4マルク(日本円で240円)も出せば、名産地のおいしいワインを買うことができました。
私は、「ささやかな贅沢(ぜいたく)」として、通販でワインを購入することを楽しみにしていて、1000円前後でも、大変立派でおいしいワインを手に入れることができています。
これは、その生産地においては、ワインがいまだに安く売られていることから、その購入が可能になることを示唆しており、これに対し、日本のワインメーカーは、それを高くしないとやっていけない事情があり、結果として、その販売競争に負けてしまうという事態になっています。
ドイツでは、ビールよりもワインがよく飲まれていますので、それこそ、かれらの生活用品のひとつがワインであり、それが消費税によって高くされることは、かれらにとって到底受け入れられないことなのです。
それに対して日本は、どうでしょうか。
なにもかもに重税が覆いかぶさり、豊かさを感じるどことか、多くの人々が生活苦を感じるよのなかになっています。
「これで、よいわけがない!」
これは、多くのみなさんが感じている生活感ではないでしょうか。
ドイツにおける生活のしやすさを深く実感するようになり、それがなぜなのかを追究するようになりました。
まずは、その食べ物比較がわかりやすく、それを記録していきました。
ここでは、その典型例として、当時、「ドイツで一番」といわれていた「コロン」というケーキ屋さんのケーキを紹介しておきましょう。
この「一番」は本当かと疑っていましたが、実際に「ミュンヘン一(いち)」、「ベルリン一」と呼ばれていたケーキ屋のケーキと比較して、たしかに、コロンの方が上だと思ったこともありました。
この店でのショートケーキが3~4マルク(240~320円)でした。
たてば、私の好きなチョコレートケーキは10段重ねで大そう立派なものでした。
ババロアとバウムクーヘンがセットになったケーキも感激するような味であり、4マルク程度でした。
これを日本と比較しますと、その値段においては軽く2、3倍、味においては、とても敵わない、ということができるでしょう。
本物のチョコレートや本場のバウムクーヘンの味ですから、そのような軍配を挙げてしまわざるをえません。
研究所の若手を誘って、このケーキ屋によくいきましたが、かれらは喜んでついてきました。
そこで、コーヒーとケーキを食べながらよく話に出てきたのが、かれらの昼飯代であり、それは、みな同じで約1マルク(80円)でした。
その1マルクで何を買うのかと尋ねたら、砂糖を被せたパンがあり、それをよく買って食べるのだそうでした。
そこで、このパンをよく買っては、かれらにプレゼントして喜ばれました。
ですから、ケーキとコーヒーで、それぞれ4マルクというのは、それこそ月に1度の贅沢でも無理な話でした。
それから、このコロンのケーキをお祝いに持っていくと、いつも大喜びで大歓迎されました。
まだまだ、たくさんのおもしろい話がありますが、この辺で、このドイツの話は終わりにしておきましょう。
さて、日本の現実に戻りますが、国東にきて、そのドイツの豊かさのことを思い出すことになりました。
「まさか、あのドイツと同じような豊かさが、この国東にあったのか?」
これは驚きとともに、感激でもありました。
「やはり、この地を住処として選んだことには、間違いがなかった」
こう思うと、「国東の豊かさとは何か」、これをますます追究することに力を込めるようになりました(つづく)。
クレソン
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