おだやかな快晴の朝を迎えています。柔らかい春の陽ざしが部屋のなかまで入ってきています。
ただ今の気温は20.3℃、湿度46%、いよいよ温かくなって春らしくなり始めています。
巷では、小さくない疑獄に発展しそうな事件で、毎日、賑わいを増していますね。
ある著名な経済ジャーナリストが、ネット上において「強大な権力であればあるほど、その崩壊は内部から始まる」という「歴史の理」を指摘していましたが、どうやら、上記の事件は、その理の通りになっていく様相を帯び始めていますね。
同時に、毎日のように次から次に発覚する事件の背後には、世の中の移り変わりの「異常な速さ」を感じています。
この時の流れのなかで、栄枯盛衰のドラマが、「おごれるもの久しからず」の諺のように演じられていくのでしょう。
こんなときこそ、じっくりと考え、物事の本質を粘り強く究明していくことが大切なのではないかという気がしています。
さて、2012年4月に、大分県国東市に移り住んで丸5年が経過しようとしています。
わずかな年月ですが、そのいくつかを、つれずれに振り返ってみることにしましょう。
①まずは、もっとも大切な生活がきちんと送れるかという問題でした。
前職においては高専における教員という仕事に打ち込んでいたために、生活自体について、さほどの関心を払うことはありませんでした。
ところが、こちらに来てから、やや時間的余裕が生まれたこともあり、自然に、住と食について考える機会が増えていきました。
折から、生まれて初めて自分の家を新築し、国東における春夏秋冬の季節とともに、新たな住まいに慣れることが同時並行的に進行していきました。
すでに、その一部は、本ブログにおけるロングラン記事(「国東の食環境」)において示されていますが、それは、「おもしろくて豊かな生活をゆかいに過ごす」ことでした。
初めての年金生活に入ったわけですので、それで生活が可能になるのかどうか、それが心配でした。
同業だった先輩たちを見ていると、その生活は、必ずしも「おもしろくはなさそうで」、「さほど豊かでもなく」、そして「とても、ゆかいには過ごせてはいない」ようでしたので、「私も同様になるのか?」と覚悟していました。
ところが、それは「まったくの杞憂に終わる」ことになりました。
それは、なぜだったのでしょうか?
故郷の大分県宇佐市に家や土地があるにもかかわらず、その住処として国東を選んだ大きな理由は、車で4分のところに大分空港があり、東京や大阪へ出かけるのに便利であると思ったことでした。
それ以外は、国東のことは何も知りませんでしたので、ここでの新生活は、未知の航海を行うに等しいことでした。
その船出のために、近くのスーパーに出かけて吃驚仰天しました。
そこに並べられている品物のほとんどが驚くほどに安く、そして立派で豊かだったのです。
これは、それまで住んでいた山口県周南市やよく出かけていた東京、大阪の常識をことごとく破壊するものでした。
たとえば、周南市の場合と比較しますと、そのほとんどの生鮮食料品の値段が3分の1以下であり、その新鮮さ、味の豊かさに驚きました。
この便利さ、豊かさを実感することによって、あれほど頻繁に通っていたコンビニに行くことが、ぴたりと止んでしまいました。
常態化していたコンビニ通いがなくなり、年に1、2回という、わずかな回数に激減しました。
いわば、コンビニに行く必要がなくなり、それを知ることで、コンビニ通いは「操られていたことだった」ということを深く認識することができました。
先日、東京で一人暮らしをされている若い女性二人と一緒に食事をする機会がありました。
幸いにも、家族で食事に行くところでしたので、それに合流していただきました。
みごとなゼッコの国東の海の幸の料理に二人とも驚き感激していました。その折、野菜の話になり、彼女らはキャベツばかりを食べているといっていました。
これでは、まるで1970年代の「神田川」の世界が続いているということではないでしょうか。
その彼女らに、一日に何度コンビニに行きますか、と尋ねてみました。
そしたら、最低1回は必ず行くということでした。
ほかに買うところがなく、近くで便利だからと、少々高くてもついつい買ってしまうことが、やがて習慣になり、普通になってしまう、これが彼女らを始めとして少なくないみなさんの生活パターンとなってしまっているのです。
昨日、家族での食事(これも地元の和風レストラン『ゼッコ』、月1回が定着し始めています)の後に、そのコンビニに寄るというので、久しぶりに店内に入ってみました。
そしたら、どうでしょう。そこに並べられている商品や配置がまるで変っているではありませんか。
「コンビニ商品は動いて変化している」
ことを実感させられました。
このコンビニの商品は、今日の資本主義社会の縮図のひとつともいってよく、それが、中央から地方の隅々まで徹底されている姿でもあります。
この姿をまざまざと見せられて、私は、「食の豊かさとは何か」を再び考えさせられました。
「再び」とは、かつて、そのことを海の向こうの生活で深く考えさせれたことがあったからでした(つづく)。
ただ今の気温は20.3℃、湿度46%、いよいよ温かくなって春らしくなり始めています。
巷では、小さくない疑獄に発展しそうな事件で、毎日、賑わいを増していますね。
ある著名な経済ジャーナリストが、ネット上において「強大な権力であればあるほど、その崩壊は内部から始まる」という「歴史の理」を指摘していましたが、どうやら、上記の事件は、その理の通りになっていく様相を帯び始めていますね。
同時に、毎日のように次から次に発覚する事件の背後には、世の中の移り変わりの「異常な速さ」を感じています。
この時の流れのなかで、栄枯盛衰のドラマが、「おごれるもの久しからず」の諺のように演じられていくのでしょう。
こんなときこそ、じっくりと考え、物事の本質を粘り強く究明していくことが大切なのではないかという気がしています。
さて、2012年4月に、大分県国東市に移り住んで丸5年が経過しようとしています。
わずかな年月ですが、そのいくつかを、つれずれに振り返ってみることにしましょう。
①まずは、もっとも大切な生活がきちんと送れるかという問題でした。
前職においては高専における教員という仕事に打ち込んでいたために、生活自体について、さほどの関心を払うことはありませんでした。
ところが、こちらに来てから、やや時間的余裕が生まれたこともあり、自然に、住と食について考える機会が増えていきました。
折から、生まれて初めて自分の家を新築し、国東における春夏秋冬の季節とともに、新たな住まいに慣れることが同時並行的に進行していきました。
すでに、その一部は、本ブログにおけるロングラン記事(「国東の食環境」)において示されていますが、それは、「おもしろくて豊かな生活をゆかいに過ごす」ことでした。
初めての年金生活に入ったわけですので、それで生活が可能になるのかどうか、それが心配でした。
同業だった先輩たちを見ていると、その生活は、必ずしも「おもしろくはなさそうで」、「さほど豊かでもなく」、そして「とても、ゆかいには過ごせてはいない」ようでしたので、「私も同様になるのか?」と覚悟していました。
ところが、それは「まったくの杞憂に終わる」ことになりました。
それは、なぜだったのでしょうか?
故郷の大分県宇佐市に家や土地があるにもかかわらず、その住処として国東を選んだ大きな理由は、車で4分のところに大分空港があり、東京や大阪へ出かけるのに便利であると思ったことでした。
それ以外は、国東のことは何も知りませんでしたので、ここでの新生活は、未知の航海を行うに等しいことでした。
その船出のために、近くのスーパーに出かけて吃驚仰天しました。
そこに並べられている品物のほとんどが驚くほどに安く、そして立派で豊かだったのです。
これは、それまで住んでいた山口県周南市やよく出かけていた東京、大阪の常識をことごとく破壊するものでした。
たとえば、周南市の場合と比較しますと、そのほとんどの生鮮食料品の値段が3分の1以下であり、その新鮮さ、味の豊かさに驚きました。
この便利さ、豊かさを実感することによって、あれほど頻繁に通っていたコンビニに行くことが、ぴたりと止んでしまいました。
常態化していたコンビニ通いがなくなり、年に1、2回という、わずかな回数に激減しました。
いわば、コンビニに行く必要がなくなり、それを知ることで、コンビニ通いは「操られていたことだった」ということを深く認識することができました。
先日、東京で一人暮らしをされている若い女性二人と一緒に食事をする機会がありました。
幸いにも、家族で食事に行くところでしたので、それに合流していただきました。
みごとなゼッコの国東の海の幸の料理に二人とも驚き感激していました。その折、野菜の話になり、彼女らはキャベツばかりを食べているといっていました。
これでは、まるで1970年代の「神田川」の世界が続いているということではないでしょうか。
その彼女らに、一日に何度コンビニに行きますか、と尋ねてみました。
そしたら、最低1回は必ず行くということでした。
ほかに買うところがなく、近くで便利だからと、少々高くてもついつい買ってしまうことが、やがて習慣になり、普通になってしまう、これが彼女らを始めとして少なくないみなさんの生活パターンとなってしまっているのです。
昨日、家族での食事(これも地元の和風レストラン『ゼッコ』、月1回が定着し始めています)の後に、そのコンビニに寄るというので、久しぶりに店内に入ってみました。
そしたら、どうでしょう。そこに並べられている商品や配置がまるで変っているではありませんか。
「コンビニ商品は動いて変化している」
ことを実感させられました。
このコンビニの商品は、今日の資本主義社会の縮図のひとつともいってよく、それが、中央から地方の隅々まで徹底されている姿でもあります。
この姿をまざまざと見せられて、私は、「食の豊かさとは何か」を再び考えさせられました。
「再び」とは、かつて、そのことを海の向こうの生活で深く考えさせれたことがあったからでした(つづく)。
シュンギク
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