早いもので、本ブログも2700回を迎え、それを単純計算すると7.4年分、もうすぐ3000回も視野に入ってきたようですね。

 いつものご愛読に深く感謝申し上げます。

 さて、劇作家として著名な「井上ひさし」が愛した言葉に次のようなものがあります。

 「むずかしいことをやさしく、

 やさしいことをふかく、

 ふかいことをおもしろく、

 おもしろいことをまじめに、

 まじめなことをゆかいに、

 そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」

 この井上スピリットにしたがって、現時点における「マイクロ・ナノバブルとは何か」を再考し、それを2700回記念シリーズとして掲載することにしました。

 むずかしいマイクロ・ナノバブル現象をやさしく解説する、これが最初の課題です。

 同時に、この課題は、マイクロ・ナノバブルに関する世界観にも結び付いていきますので、その理解における基本中の基本になります。

 これをしっかり考え、その確立がなされていないと、結局のところ、最後には小さくない過誤に陥ってしまう恐れも多々あるのではないでしょうか。

 そして、これは、多くの人々における普及の要になる核心的な課題にもつながっていきます。

 いくら難解な科学や技術といっても、それをやさしく解きほぐし、その本質をしっかり理解されないと、その意味はほとんどないといってもよいでしょう。

 マイクロ・ナノバブルとは、次の3つの形態における気泡のことをいいます。

 ①マイクロバブル:マイクロサイズの小さな気泡のことです。狭義には、その発生時において10~40(数十)㎛の直径を有する気泡のことです。

 ②マイクロナノバブル:マイクロバブルかナノバブルかが簡単には区別できない気泡のことをいいます。具体的には、その気泡の直径において10~数百ナノメートル(nm)の気泡のことを指します。

 ③ナノバブル:その直径において数百ナノメートル以下の気泡のことをいいます。

 これらの定義は定着しつつあると思っていたら、最近になって、ファインバブルという用語が新たに出現してきました。

 しかも、その「ファインバブル」に因んだ研究組織もできたようで、そこでは、次のような定義がなされているようです。

 「ファインバブル」は、「マイクロバブル」と「ウルトラファインバブル」で構成されるそうです。

 「ファインバブル」とは、「細かい気泡」のことを表しているのでしょう。

 換言すれば「微細気泡」ともいってよいでしょう。

 これは、私が普及を開始したマイクロバブルの用語の以前に存在していたものでした。

 この気泡が、「マイクロバブル」と「ウルトラファインバブル」で構成されるというのですから、ここで基本的な混乱が自然に生まれてしまいます。

 マイクロバブルとは、マイクロサイズの気泡のことをいうのでしょうから、そこにはきちんとした「サイズ」、すなわち長さが示されています。

 ところが、「ウルトラファインバブル」の方は、それを和訳すると「超微細な気泡」という意味だと思われますので、ここには長さの概念がありません。

 マイクロバブルでは長さの概念を持ち出し、それよりも小さいものに対しては、それがない。

 さらに、その総称においても、長さの概念が定義されていない。

 これは明らかに、ある意味での「混乱」というしかありません。

 重要なことは、マイクロバブルやファインバブルのことをよく知らない方々が、この気泡のことを理解する際に、その混乱なしに、きちんと理解できるかにあります。

 その普及の大元にあるところが、このような混乱を与えてしまっては、それが、その末端にいくにしたがって、より拡大していく恐れが生まれてくることになります。

 先のマイクロ・ナノバブル学会においても、ある有名大学のお一人が、「私は、ファインバブルという呼称で講演をします」と断られていました。

 しかし、その「ファインバブル」は、マイクロバブルかウルトラファインバブルなのかが、視聴者においては解らないのです。

 これも、指摘せざるえないひとつの「混乱」といえるのではないでしょうか。

 これらの混乱を招かないために、ここでは、前から行っている、上記のマイクロバブル、マイクロナノバブル、ナノバブルの定義を用いて書き進めていくことにしましょう。

 この定義においては、気泡に関して長さの概念が付与されていますので、上記のような混乱は、少しも生まれることはありません。

 それから、もう一つの重要な因子は、すでに「マイクロバブル」、「ナノバブル」という呼称が、日本社会において一定の普及がなされていることです。

 そこに新たな混乱を持ち込むことは避けた方がよい、という判断が働いていることです。

 「用語」に関して、それが不適切な場合には、そこに常に「混乱」を生じさせるものですが、それも時の経過によって淘汰されていきます。

 長い目で見れば、生き残る言葉と、そうでない言葉に区別されます。

 おそらく、上記の用語と定義も、そのような運命を辿ることになるでしょう。

 以上を踏まえ、次回は、この科学と技術が、わが国発の「オリジナル」であることの意味を考察することにしましょう(つづく)。
sirann
紫蘭