昨年、瀬戸内市の森先生の寒川巨大窯の地を訪れた際に、古備前の話になりました。

 まだ、85ⅿの巨大窯の火入れの前でしたので、森先生の大きな課題として「古備前をどう乗り越えるか」が掲げられていました。

 風格があり、どこか落ち着いてしっとりしている、今では、このような焼き物を造りだすことができない、そのように森先生は、古備前のよさを強調されていました。

 室町・安土の時代においては、戦国大名が後押しし、千利休をはじめとする商人が、その焼きものづくりを指導していました。

 森先生の口癖は、「大釜には、それにふさわしい作品ができる可能性があるが、それは決して小窯からは出てこない」でした。

 その古備前について、ちょっとおもしろい実験を行いました。

 先生に依頼して、密閉された部屋の机の上に、古備前の壺と、最近の壺を並べていただきました。

 その2つの壺を並べて、その表面温度を高精能の赤外線カメラで撮影しました。

 その表面温度が、色違いで出てきて、好きなポイントの温度も精度よく計測できますので大変便利な温度計でした。

 さて、その両方の壺の表面温度は、どうなったでしょうか?

 長い時間、密閉されて温度変化のない部屋に置かれたままの状態でしたから、それらの表面温度は同一であるはずです。

 ところが、そのようにはなりませんでした。

 わずかですが、古備前の壺において表面温度が高いという結果が出てきました。

 なぜでしょうか?

 森先生も、首を傾げられていました。

 私は、この違いは、両壺から発せられている遠赤外線の強さにあるのではないかと推察しました。

 また、すぐそばには、まだ焼いていない甕もあり、その温度計測をしましたが、これはより低いものでした。

 この推察が正しく、その表面温度が高いということであれば、同じ古備前の肌触りにおいて「しっとり感」があることは、どのように解釈したらよいのであろうか?

 「しっとりする」のは水分を含んでいるからで、それを含んでいるのであれば、その表面温度は、より低いはずです。

 それでは、しっとり感があるのに、表面温度が高い、これについて少し考察を進めましょう。

 しっとり感、これは、すでに述べてきたように、表面付近の水分が多いことから出てくる現象です。

 しかし、一方で、古備前の表面は温度が高い、そうであれば、表面の水分は蒸散しやすい、この蒸散が盛んになれば、表面は乾燥しやすくなります。

 そして、その気発の際には温度を下げてひんやりする、さらに乾燥した後には、それだけ水分を吸い込みやすくなります。

 このように、古備前の表面では、気体と水分が常に出入りし、その呼吸を活発に行っているのではないかと推理しました。

 いただいた大皿を眺めるたびに、そこに手を置き、その表面の具合を確かめました。

 すると、必ず、ひんやりとして、しっとり感がするではありませんか。

 これは、焼き物にとっての呼吸ではないか。

 おそらく、この作品は、これから、何百年、あるいは1000年、2000年と、この呼吸し続けるのではないかと思われます。

 これは、よく言われる「備前の七不思議」に関わる現象ですが、ここでも、その事実に衝突したのではないかと思いました。

 まさに、「生きている備前」、それが、この大皿でした。

 すばらしいですね。

 「森先生、真にありがとうございました」

 これからも、備前の科学的研究を持続させていただきます(つづく)。
20160731bisennoozara
     
              85ⅿ巨大窯で焼かれた備前の大皿