私の唐揚げ行脚は、お隣の宇佐市に向かいました。

 ここは私の出身地でもありますので、なにかと郷愁を覚えるところです。

 この地域は、豊前平野のほぼ中央を占め、その平地が故に、柳ヶ浦地区には戦時中に航空隊があったところでもあります。

 古くは宇佐神宮が有名で、ここを本家とすれば、ここ国東は出先ともいうべき地域でして、たくさんの寺院があります。

 そして宇佐神宮に訪れた僧たちが、籠って勉強や修行をするところが、この国東の山々だったのです。

 その意味で、当時の宇佐神宮と国東地域は、もっとも文化度が高く、若い知識人たちが集まってきたとこであり、いわば知識と文化、そして修身の最先端地域でもありました。

 私が幼い頃は、どこのうちでも鶏をよく飼っていて、お客さんが来ると、その鶏を絞めて料理に出す、これが慣習になっていました。

 おそらく、この慣習から唐揚げが生まれ、地域の料理法として確立していったのでしょう。

 この宇佐市が唐揚げ発祥の地と呼ばれているのも、私の子供の頃の食物体験に照らせば、頷くことができます。

 そこで、宇佐にある「おかき」の専門店の売り子さんに尋ねてみました。

 「宇佐は、唐揚げ発祥の地と呼ばれていますので、どこか美味しい唐揚げを売っているところを紹介していただけませんか?」

 即座に、回答が返ってくると思って待ち構えていたのですが、それがすぐには返ってきませんでした。


 なぜであろうか、と思いながら再度尋ねたのですが、今度も同じ反応でした。

 そこで、その訳を詳しく聞いてみると、この売り子さんが自信を持っていえる店がないとのことでした。

 「そんなものか?」と思いながら、結局は、名の通った店を訪ねては、その味を確かめてみましたが、それらにはあまり違いがなく、私が幼い頃に食べていた母の唐揚げの味を見出すことはできませんでした。

 ーーー 宇佐地区は、林立状態か。それだけ競争が激しいのかもしれない。

 こう思いながら、宇佐市院内にある櫛野農園に立ち寄った際のことでした。

 近くに、院内の道の駅があると聞いて、そこに向かいました。

 この院内地区は、アーチ型の石橋が有名であり、その案内には数十個もあると書かれていました
(つづく)。