コンビニがないと生活することができない。
この状況が、日本社会の至るところで出現しています。
とくに、行動範囲が狭い高齢者にとって、コンビニはなくてはならないものになっています。
「コンビニがないから、田舎では生活ができない」
このように仰る高齢者の方が少なくないようです。
ほかに買うところがないから、仕方なく通う、これが日常化して習慣になる、そのうち、「ここにもよいところがあるではないか」、「おむすびの100円セールがなされてよかった」などと思うようになってしまうようです。
こちらに来るまでは、私も、その一人であり、ほぼ1日1回のペースで通っていました。その際、家族を喜ばそうと、ついつい多くを買ってしまうことがしばしばでした。
ところが、この国東にきてからは、物理的にコンビニに通うことができなくなりました。
歩いていける距離にコンビニがなく、車においても結構時間がかかるので、そこに行くよりは、近くのスーパーの方がよいという選択をするようになりました。
こうして、コンビニとは無縁の生活を開始することができるようになったことから、自然に、「以前の生活は何であったのか?」を、よく考えるようになりました。
まず、もの珍しさもあり、近くのスーパーに行っては、品物と価格を調べてみようと思いました。
すでに、ドイツと日本の物価比較を行っていましたので、その続きのような感覚で「探究心」を駆り立てることができました。
ここ、国東市や杵築市には、いくつものスーパーがあります。これに加えて、最近では、ホームセンターや薬屋でも、食料品が生まれています。
それらが、日々競い合い、知恵を出し合っています。
ですから、いかに客を集め、品物をどう売りつくすか、この戦いが常に繰り広げられています。
これらは、チェーン店的な系列下にあるものと、ほぼ単独で経営されているものとに分かれています。
この問題に分け入る前に、国東という地域の特殊性に触れておきましょう。
ここ、国東市は、国東半島の東半分を占める地域にあります。北は、国見、中部が国東、そして南に武蔵、安岐の4つの地域から構成されています。
1800年前から、この地は、僧侶たちが修行をしてきたところで有名です。気候は温暖、海の幸と山の幸の両方が豊かで、住みやすいところでもあります。
降り射す太陽光、緑、海と山々の風景を見て、作家の森村誠一氏は、ここを「日本の地中海である」と語っていました。
しかし、一方で、陸路の交通の便が悪く、多くの経済的物流は、この半島の付け根を横断する国道10号線やJRによって遮断されてしまい、それより奥には、その影響を及ぼさない、いわば、日本経済の物流や影響がほとんど及ばない地域として存立してきたのでした。
そのことは、この地域に車で進入してくれば、すぐに明らかになることです。
まず、その街並みに目をやれば、昭和の30~40年代の家並みがあり、私などは、それに懐かしさと郷愁を覚えてしまいます。
それから、コンクリートの高いビルがほとんどありません。
おそらく、それに該当するのは、今度新設される新市役所や病院の類ぐらいでしょう。
その大半が農村風景であり、ここではゆったりと時間が流れています。
この異質な空間をどう理解するか、そのことに戸惑いながらも、この地域の独自性、ふしぎ性については興味津々で、その理解に努めてきました。
ところで、交通の便については、空路の問題について述べておく必要があります。
ここ国東には、周知のように、大分空港があります。
我が家からは、車で4分の距離にあり、この利便性が、ここに住み着く大きな理由になりました。
さっと、空港に行って、東京、大阪に行ける、これはとても魅力的なことでした。
この利便性からでしょうか、代表的な大企業も、ここに大きな工場を進出させてきています。
私の住む団地の家族のかなりの部分が、この大手企業に勤められています。
ところが、この家族には、日常、お父さんがいません。
たまに休みの時にしか、帰ってこないのです。
そして奥さんは、どこかにパートで勤めていますので、昼間は、人影を見出すことがありません。
それから、この企業の周辺には、夥しいほどの空き家アパートが並んでいます。
どこに行っても空き家状態になっていて、どんなに家賃を安くしても入り手がいないという事態になっています。
そして、大手企業の撤退、工場閉鎖が続いています。
かつては、これらの大手企業が進出することによって地域経済が活性化すると信じられていましたが、いまでは、それが絵空事であったことは誰の目にも明らかになっています。
地域には、地域に根ざすものしか残らない、生きていけない、当たり前のことですが、この法則が成り立っているのです(つづく)。
安岐港の競りに出された鯵、キスゴ、ヒメイチ等
この状況が、日本社会の至るところで出現しています。
とくに、行動範囲が狭い高齢者にとって、コンビニはなくてはならないものになっています。
「コンビニがないから、田舎では生活ができない」
このように仰る高齢者の方が少なくないようです。
ほかに買うところがないから、仕方なく通う、これが日常化して習慣になる、そのうち、「ここにもよいところがあるではないか」、「おむすびの100円セールがなされてよかった」などと思うようになってしまうようです。
こちらに来るまでは、私も、その一人であり、ほぼ1日1回のペースで通っていました。その際、家族を喜ばそうと、ついつい多くを買ってしまうことがしばしばでした。
ところが、この国東にきてからは、物理的にコンビニに通うことができなくなりました。
歩いていける距離にコンビニがなく、車においても結構時間がかかるので、そこに行くよりは、近くのスーパーの方がよいという選択をするようになりました。
こうして、コンビニとは無縁の生活を開始することができるようになったことから、自然に、「以前の生活は何であったのか?」を、よく考えるようになりました。
まず、もの珍しさもあり、近くのスーパーに行っては、品物と価格を調べてみようと思いました。
すでに、ドイツと日本の物価比較を行っていましたので、その続きのような感覚で「探究心」を駆り立てることができました。
ここ、国東市や杵築市には、いくつものスーパーがあります。これに加えて、最近では、ホームセンターや薬屋でも、食料品が生まれています。
それらが、日々競い合い、知恵を出し合っています。
ですから、いかに客を集め、品物をどう売りつくすか、この戦いが常に繰り広げられています。
これらは、チェーン店的な系列下にあるものと、ほぼ単独で経営されているものとに分かれています。
この問題に分け入る前に、国東という地域の特殊性に触れておきましょう。
ここ、国東市は、国東半島の東半分を占める地域にあります。北は、国見、中部が国東、そして南に武蔵、安岐の4つの地域から構成されています。
1800年前から、この地は、僧侶たちが修行をしてきたところで有名です。気候は温暖、海の幸と山の幸の両方が豊かで、住みやすいところでもあります。
降り射す太陽光、緑、海と山々の風景を見て、作家の森村誠一氏は、ここを「日本の地中海である」と語っていました。
しかし、一方で、陸路の交通の便が悪く、多くの経済的物流は、この半島の付け根を横断する国道10号線やJRによって遮断されてしまい、それより奥には、その影響を及ぼさない、いわば、日本経済の物流や影響がほとんど及ばない地域として存立してきたのでした。
そのことは、この地域に車で進入してくれば、すぐに明らかになることです。
まず、その街並みに目をやれば、昭和の30~40年代の家並みがあり、私などは、それに懐かしさと郷愁を覚えてしまいます。
それから、コンクリートの高いビルがほとんどありません。
おそらく、それに該当するのは、今度新設される新市役所や病院の類ぐらいでしょう。
その大半が農村風景であり、ここではゆったりと時間が流れています。
この異質な空間をどう理解するか、そのことに戸惑いながらも、この地域の独自性、ふしぎ性については興味津々で、その理解に努めてきました。
ところで、交通の便については、空路の問題について述べておく必要があります。
ここ国東には、周知のように、大分空港があります。
我が家からは、車で4分の距離にあり、この利便性が、ここに住み着く大きな理由になりました。
さっと、空港に行って、東京、大阪に行ける、これはとても魅力的なことでした。
この利便性からでしょうか、代表的な大企業も、ここに大きな工場を進出させてきています。
私の住む団地の家族のかなりの部分が、この大手企業に勤められています。
ところが、この家族には、日常、お父さんがいません。
たまに休みの時にしか、帰ってこないのです。
そして奥さんは、どこかにパートで勤めていますので、昼間は、人影を見出すことがありません。
それから、この企業の周辺には、夥しいほどの空き家アパートが並んでいます。
どこに行っても空き家状態になっていて、どんなに家賃を安くしても入り手がいないという事態になっています。
そして、大手企業の撤退、工場閉鎖が続いています。
かつては、これらの大手企業が進出することによって地域経済が活性化すると信じられていましたが、いまでは、それが絵空事であったことは誰の目にも明らかになっています。
地域には、地域に根ざすものしか残らない、生きていけない、当たり前のことですが、この法則が成り立っているのです(つづく)。
安岐港の競りに出された鯵、キスゴ、ヒメイチ等
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