私には、はみ出してもよい自由がある
ここで生きることは、本来許されないはずです。
しかし、私は、堂々と生きています。
身体を伸ばし、花を咲かせ、しっかり子孫を残すための営みを行っています。ここは危険な道路ですので、いつ引かれても、そして足で踏みつぶされてもおかしくない状況に置かれています。
ところが、種が隙間に落ちて以来、目が出て膨らみ、茎が伸びて、このように立派に花が咲くまで、私を成長させていただくことができました。
私は、今日まで生きることができた幸運と、はみ出しても花を咲かせることができた自由に深く感謝しています。
さて、この幸運は、ここが私にとっては、真に平和な空間であることによってもたらされました。
というのも、ここの1日当たりの平均通行量は、せいぜい2人ですので、この自由が許されているのだと思います。
しかも、その2人のうちの一人は、私の写真を撮られた方ですので、彼は、私の生きることに賛同を寄せられています。
残りの一人の方は、反対側を通りますので、ここは、ヒトが通るという活動が皆無の場所といってもよいところなのです。
か弱い花の生涯ですので、これからも、いつどうなるか、それは解りません。
しかし、ここまで来たら、立派に私の子供たちを生み出すまで頑張るしかありません。
なぜなら、私には、毎日元気に生きる使命と自由がありますので、どうか、それを全うさせていただきたいと思います(つづく)。
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