七島イの畳表
七島イで織られた畳表です。
通称「琉球畳」とも呼ばれています。
この名の通り、そのルーツは沖縄であり、琉球王朝時代における畳表には、この七島イが使用されていました。
江戸時代になって、当時の杵築藩の役人が、この七島イの苗を持ち帰り、それが国東半島一帯において栽培されることになりました。
その最盛期は昭和30年代でした。
当時は、国東半島の多くの家庭において七島イの栽培や加工がなされていました。
ところが、最高時においては年間500万畳(畳1枚を単位としている)が生産されていたのに、それが今では3000枚にまで減少しているのです。
それでも、七島イ栽培農家ががんばって、その伝統を維持されてきました。
今や、ここ大分県国東市安岐地区は、全国で唯一の七島イ栽培地となっています。
葉室鱗の芥川賞受賞作「蜩(ひぐらし)の記」の映画においても、この七島イ加工のシーンが頻繁に出てきていました。
当時から、七島イは地域に根ざした技術であり、産業であったのです。
この七島イ栽培における問題は、全国的に七島イの需要がかなり存在しているのに、その生産体制が十分に整っていないことにあります。
この生産側における最大の問題が、その栽培作業における重労働問題があります。
とくに、七島イの成長に伴って行われる杭打ち作業が大変なことから、だれもその栽培法を引き継ごうとしていないことが大きな解決課題となっていました。
この解決を行うには、誰も参入できる簡単な栽培法を新たに開発するしかなく、その方法を求めて、その栽培法を研究してきて4年目を迎えてしまいました。
この度、ようやく、その七島イを用いて、上記のようなサンプルを織るまでに至ったのです。
この写真の下部 が七島イを2つに割いた場合、上部が割かずにそのまま織った場合で、いずれにおいても、それが可能であることが明らかになりました。
この七島イ畳は、肌触りがよく、何ともいえ ない香りもあり、高級品としての風格があります。
このサンプルの評価を踏まえて、次の新たな七島イ栽培の段階に分け入ることができそうです。
これが、地元に小さくない規模の地場産業を形成させるための第1歩になることが期待されています。
これから、ふるさと創生の真価が、この七島イ畳で問われることになるでしょう(つづく)。
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