春のアグリ作業 ふしぎなもので、一度アグリ作業を始めると、身体が自然に動くようになるのでしょうか、本日からは、みんなで作業を行うようになりました。 まずは、私が先行し、緑砦館3のAとBの水路上蓋に残っていた枯れた野菜の清掃を行いました。 そのなかには、カ
2022年04月
超高齢化社会を生き抜くために(3900回記念)(52)免疫力アップ作戦(36)
新型コロナウイルスをはじめとする感染症の時代を迎えて、そして超高齢化社会を力強く生き抜くために、自らの免疫力をアップさせる作戦を展開してきました。 これまでの取り組みは、次のとおりです。 1)睡眠時間の確保、2)ストレス解消、3)快眠枕、4)ほうじ茶に自然
さわやかロハス生活(4600回記念)(19)セロリスープ
春たけなわ このところ、日に日に温かくなり、それにつられて、緑砦館に入ることが増えてきました。 春の温かさが、緑砦館の植物たちとの触れ合いを誘っているからです。 幸いにも、花粉症も和らいできましたので、それもアグリ作業を楽しむ誘因のひとつにもなっています
緑砦館物語(150)アグリ作業(76)再開
四月も半ば 四月も半ばに入り、徐々に温かくなってきました。 このところ、ようやく花粉症が和らいできましたので、緑砦館におけるアグリ作業を昨夕から再開しました。 まずは、緑砦館1において七島イ水槽用にアルミフレームの枠を移設しました。 七島イが大夫成長し
中津へ(27)2つ目の実験
一度失敗していた実験 一つ目の実験は、予想通りの成果が生まれて、これから、現場での試験が開始されることになりました。 まずは、スタッフのみなさんから試した方がよいのではないかとW先生が仰られていましたので、その結果を待つことにしましょう。 さて、1つ目の実
中津へ(26)
車窓の景色 早朝から、2つの研究開発の報告書の印刷、2つの実験のための準備などを行ってから、午前11時前に家を出発しました。 車窓からは、冬の間に枯れていた木々に緑が噴き出していて、季節の大きな移り変わりを感じました。 見慣れた景色ですが、その美しさに目
中津へ(25)
昨夕の実験 本日は、中津のW医院において共同研究に出かける予定で、朝から準備を行っています。 まずは、2つの報告書の印刷を行いました。 合計で80頁前後にもなる比較的にボリュームのある内容になりました。 地道に、そして着実に進めてきた共同研究なので、その重要
国東の食環境(377)どんこ
道の駅「いんない」 中津からの帰路、久しぶりに道の駅「いんない」に立ち寄ることができました。 今日は、地元産の野菜を買おうかと思って、入口に向かうと、早速、その露店の棚に地元産のシイタケが並んでいました。 見るからに立派で肉厚、いわゆる、通称の「どん
創造的突出と自己革新(CASEⅠ:高専)(4550回記念)(10)
対極における共鳴現象 わが国は、「黄金の80年代」を迎えて、その産業構造における大きな変容を遂げるようになりました。 1989年の世界トップ企業20社のうち、日本国内の企業が14社を占めるようになったのです。 断トツのトップがNTT、それに大手銀行が続いて、東京電力
徒然に光マイクロバブル(101)新型コロナウイルス(61)第7波の予兆
下げ止まり 東京をはじめとして新型コロナウイルスの感染が下げ止まりしています。 先週と比較すると、若干感染者数が増加傾向にあり、油断できない様相を帯びてきたのではないでしょうか。 そのウイルスは、オミクロン株の「BA.2」と呼ばれるもので、その前の「BA.1」よ
第三の生物適応物質「土」(4350回記念)(12)土と光マイクロバブル(5)
土と光マイクロバブル水(2) しばらくの間、本シリーズの執筆を中断していましたので再開します。 その理由は、ある重要なことに気づいたことにあり、その特性について、本課題においてもより深掘りしてみようと思ったからであり、少々ワクワクしながら、この執筆に臨んで
スナップショット「凱風快晴」(19)フリージャに寄せて
春を迎えて 我が家の中庭に、色とりどりのフリージャが咲きました。 母が好きな花でした。 孫たちと庭に出て花を愛でて遊ぶのが好きで、散歩にもよく出かけていました。 朝日に輝くきれいな花弁を見て、母のことを懐かしく思い出しました。 洋裁が得意で、針とハサミで
光マイクロバブルの正体(4400回記念)(14)光るマイクロバブル(1)
光マイクロバブルと光マイクロバブル水の定義 光マイクロバブル:「その大量発生時において直径1~65㎛を有し、数十秒間という短期間に収縮しながら、同時に8~9ヘルツで振動して消滅していく過程において化学的に反応する気泡」 光マイクロバブル水:「光マイクロバブル
「高野長英」再考(9)牢名主の長英
牢屋暮らし 長英が入れられたところは、大衆の罪人たちがいるところであり最低水準の牢屋でした。 かれは、そのことを恨むどころか、歓迎して積極的に、そこの罪人たちとの交流を行いました。 まず、囚人たちの病気を治してやりました。牢屋の不衛生も改善しました。 狭
「高野長英」再考(8)5年ぶりの江戸
江戸での決断 5年ぶりに江戸に帰ってきた長英には、故郷の水沢に帰って、亡き養父の高野玄斎の跡を継いで医者になるか、それとも江戸に残って町医者を続けながら西洋医学を究めていくのかかの選択を迫られていました。 兄と共に江戸に出て、その兄を看病しながら死に水を