しかも、その一致があったとしても、それを信用して、「たしかなものである」と評 価してくださる方々が、これまた、そんなに多数いるわけではありません。

 20世紀後半以降のの世相の影響でしょうか、かえってうまくいきすぎると、「なにかおかしい」、「そんなにうまくいくはずがない」、「どこかに おかしいことがあるはずだ」と考えてしまう方々も少なくありません。

 それこそ、艱難辛苦を乗り越えての成功であっても、なかなか素直に認められない、このような傾向が一部に根強くあるようです。

 たとえば、その解決が「非常に困難」といわれている問題においては、なおさら、このような傾向がすぐに顕著に現れてきます。

 「信用してもらいたかったら、信用できるようなデータを持ってきてください。どこか権威のあると ころで、確かめてから来てください、そいうして、こられましたか?」

 しかし、当事者に とっては、その成功が最も重要であり、それにとって必要な改善がなされるのであれば、そのような説明は必要ないことでもあります。

 信用できるデータがあれば、だれでも信用するのであって、さらに権威が認めるのであれば、そもそも、その末端にまで、話を持っていかなくても、自動的に話が広がっていくのが、これまでの道理でもありました。

 大切なことは、小さくてもよいから、それを地道に積み重ねていくことであり、それが、やがて積って山になっていくのだと思います。

 この視点に立脚すれば、実績主義も権威主義も不必要なことだと思います。

 広島のカキ養殖にマイクロバブルを適用する時には、「あの広い海で何ができるのですか?」、「マ イクロバブルでカキが救えるのですか?」といわれました。

  三重の真珠養殖においては、「マイクロバブルで、貝の病気が本当に直せるのですか?」ともいわれました。

 同じような疑問や意見は、それ以後も持続的に投げかけられています。

 しかし、これらの状況を確実に変えていったのは、現場における実践そのものでした。現場で起こる事実が、その常識を変えて行きました。

 カキがすばらしく成長し、ホタテの大量斃死を防ぎ、見事に巻いた真珠ができあがることで、みなさんが信用したのです。

 そして、このような事例に出会うたびに、そのジグソーパズルの薄片の量を増やす必要がある、事例 が少なすぎるとも思うようにもなりました。

 現在においては 「非常識」としか評価されないことを、次の将来においては「常識」に転化させる、それを実現するには、時間をかけても、その事例を増やしていくしか有効な 方法はないのです。

 「急がば回れ」ですが、このジグソー パズルの二重構造の世界においては、当面、それが一番有効な方法ではないかと思っています。

 こういうと、みなさんは、なんと気の遠くなる話かと嘆かれるかもしれませんが、この「二重構造の世 界」のレベルでは、それも仕方がないことのように思われます。

 しかし、この構造性には、この二つに留まらない特別の「複雑性」が存在しているのです。ですから、このジグソーパズルもより必然的に難しくなってし まうのは避けられません。

 一見、マイクロバブルが単純そうで、奥が深いのは、この高度の複雑性が存在しているからなのです。

 だとすると、このむずかしさを、どのように、「や さしく考えればよい」のでしょうか?

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