水木しげるは、43歳にして、出版社の児童文学賞をいただき、世の中の脚光を浴びるようになりました。赤貧に耐えながらも、漫画に打ち込んできた実力がようやく認められたわけです。
これで、貸本漫画家から、雑誌漫画化への脱皮がなされることになりました。当時は、貸本漫画家といえば白土三平であり、貸本屋には、手あかのついた漫画「カムイ伝」がずらりと並べられていたことを記憶しています。
しかし、当時の私には、この漫画が高級過ぎたのでしょうか、それを棚から取り出して見たものの、なにかいいようもない「すごさ」に圧倒されて、それ以上は、それを読み進めることができなかったような気がしています。
また、貸本においても、「水木しげる」の本に出会った記憶はありません。ですから、私が少年時代に記憶している水木漫画としての最初は、「鬼太郎」です。
当時は、月間の「少年」や「冒険王」という雑誌があり、それが私の愛読書でした。鉄腕アトム、赤胴鈴之助、鉄人28号など、とても賑やかでした。
なかでも、鉄腕アトムは、『少年』の別冊としても出版されており、それをどれくらい集めるかを競い合っていました。
戦後の何もない世の中で、夢のような未来社会を描いたアトムの世界はすばらしいもので、少年としての私の心を捉え、虜にしてしまいました。
もちろん、それらを学校に持ち寄って見せ合うこともしていました。今のように、漫画持ち込み禁止のような措置はありませんでした。
ですから、鬼太郎は、その後からの登場となりましたので、最初は、その部分を避けて読み、最後に、それを、怖い話として、最後に読むという具合でした。
しかし、それを読んでいるうちに、他の漫画にはない独特のおもしろさがあることに気付きました。
目玉の父親、さらには、まったくのネガティブ性格の持ち主の鼠男、そして、想像だにできないような数々の妖怪の出現と対決など、アトムとは別次元のおもしろさがあることを見つけました。
当時は、どうして、このように奇怪でおもしろい漫画が描けるのだろうかと思いを巡らしたこともありました。
さて、これからのNHK朝ドラでは、雑誌とテレビの両方を通じて、「鬼太郎」をクローズアップしようという作戦が繰り広げられるようです。これらが、鬼太郎を主人公とする「妖怪ブーム」の前触れでした。
なぜ、鬼太郎がブームになったのか、それを改めて考えて見ることにしました(つづく)。
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