『日本沈没』の上巻における最後の事象は、田所博士が日本沈没をD-1計画のメンバーに初めて予告したことと、それを想像させる「前触れ」として「東京大震災」が発生したことでした。
田所博士は、その予知の結論を、自らの「直観」と「イマジネーション」によって得ることができました。
彼のいう「カン」とは、「直観」のことでした。
そこで、「鋭く、大きな直観」の意味をふかく考えてみることにしましょう。
すでに述べてきたように「直観」の「観」には、「思いめぐらして物の真理・本質を悟る」という意味があります。また、この「観」には、「考える」という意味が含まれると京都の比叡山の高僧の話を聞いたことがあります。
ですから、「直観」とは、「直に、推論を設けずに、物の真理や本質を考え、悟る」ということのようです。そして、この英文用語が「intuition」とされています。
この意味を踏まえて、それを働かすには、その研ぎ澄まされた「鋭さ」と決して小さくない「壮大さ」が重要になります。
これを田所博士の場合に照らしますと、「日本沈没」というとてつもない大きな現象を前にして、その可能性を検討するには、鋭く、研ぎ澄ました方法で、データを収集し、分析する必要がありました。
しかし、ここで重要なことは、単に「鋭さだけが優れていればよい」のではないのです。この「鋭さ」だけを考えれば、それを兼ね備えた「学者」は、石を投げれば当たるほどいると思われます。
となると、「鋭い直観」よりは、「大きな直観」の方がより重要な概念になりそうです。
これに関しては、小説や映画の中で、ドイツ人のヴェゲナーの「大陸漂移説」が紹介されています。
彼は、地図を見ていて、アメリカ大陸とヨーロッパ、アフリカの大陸が昔はくっついていて、それが離れて移動していったことを1912年に発表しました。
これは「大陸漂移説」といわれていますが、それを笑った学者は多数いても、それを信用する方はだれもいませんでした。
映画では、田所博士が、彼が座っていたイスのそばの机の上にあった新聞を破って、目の前の渡老人に、次のように説明されたのが印象に残りました。
「いいですか、こうして破った新聞をつなぎ合わせると、破る前の新聞が同じであったことを誰もすぐに理解できます。ドイツの気象学者であるヴェゲナーという人が、世界地図を見ながらカンを働かせ、昔は、アメリカ大陸とアフリカ大陸がくっついていたことを発見します。
これを発表した時には、だれも信用せず、彼は、世界中の学者の笑い者になりました。とうとう彼は、誰からも認められないまま、1930年に死んでしまいました。
ところが、現在では、この彼の学説を信用しない学者は誰一人としてもいません」
「大きな直観」とは、このような学説を発見し、真理を悟ることであったのではないかと思います。
この場合の大きさとは、時空間的な広がりを示すものであり、たとえ、最初は誰も信用しなくても、時が経てば、世界中の方々が自然に理解し、認識を深めていくものだと思います。
逆に、「小さな直観」とは、その時限りで、ごく少数にしか通用しないもののようです。
以上をまとめますと、「大きな直観を鋭く研ぎ澄まし、洗練化する」、これがとても重要であるように思われます(つづく)。
コメント