ある若手教員と話をする機会がありました。
「最近はいかがですか、前の方がよく観えていますか?」
「いやぁー、なかなか観えずに困っています。しかも、徐々に観えなくなってしまっていますので、これでよいのかなといつも思っています」
この場合、観える、観えないとは、「研究上の展望」のことです。
博士論文を書き上げた後で、しばらく、その内容で維持がでるのですが、それが時間の経過とともに、「タネ切れ」になってしまい、それと同時に「迷い」が出てきてしまうことが往々にして起こりがちです。
私も、「このような時期」がありましたので、そのころのことを思い出しながら話が弾んでいきました。
「森の中で、どちらに進んだらよいか、わからなくなるような状況ですか?私も、同じような年齢の時に、そのような時期がありましたが・・・・・・・・」
「そうです。その森の中の状況とよく似ています」
「そうですか、じつは、博士論文を書いた後では、それをバネにしてよく伸びる方と、逆に、尻つぼみになって、なんとか維持するだけの方の二通りがあります。後者のパターンが圧倒的に多いような気がしています」
「やはり、そうですか」
「ところで、森の中で迷った時には、どうすればよいか、その格言を知っていますか?」
「なんでしょうか?」
「迷ったら、とにかく、どの方向でもよいから、まっすぐ進み、その森から出ることが先です。森を抜けだすことができれば、後は簡単に元の道に戻ることができます。ところが、迷ったままぐるぐると同じところを回り続けていると、永久に、そこから抜け出すことができなくなります」
「早く、そこから抜け出したいとは思っているのですが・・・・・・・」
「仮に、その森から抜け出すことができたら、その後は、何が必要だと思いますか?」
「えっ!抜け出せていないのですから、その後のことは考えていませんでした・・・・・」
「そうでしょうね!それでは、最近、つくづくと、これは大切と思っていることを紹介させていただきます。それは、『鋭く、大きな直観』ということです」
見慣れない言葉を聞いて、その彼は、一段と目を輝かせました。
「『直観』とは、感じるの方ではなく、観察の『観』の方です。これが、鋭くて大きい必要があるということです。『直観』とは、物事の本質を見抜くことだといわれています」
「私たち凡人は逆ですね。そうしますと、その直観が鈍くて小さいから、本質を見抜くことができないということになりますね」
「よくわかっていますね。まず、鋭い、鈍いは、その違いがよくわかりますね。ところが、次の『大きい、小さい』がよく理解できないのだと思います」
ここで、小説『日本沈没』に出てきたヴェゲナーの話をしました。つい最近、勉強してきたことなので、これについてはホットに語ることができました。
「かれは、自分で世界地図を見て、いまでいう『大陸移動説』を思いつきます。しかし、その学説を1910年に発表したときには誰も認めず、笑い者になりました。失意のまま、1930年になくなりますが、その後、彼の学説の正しさは証明され、今でも、それを疑う人は誰もいません。この『大陸移動説』を見出したことが、『大きな直観』といえます」
「そういわれますと、なんとなく分かるような気がします」
「そうですか、彼のように、その直観が大きければ大きいほど、それを理解できる人は少ないのです。大きさとは、時間的にも空間的にも広がりを有するものなのです」(つづく)
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