リメイクされた松本清張作の映画『ゼロの焦点』を見させていただきました。前作は白黒で、配役も違いっていましたが、それに劣らぬ迫力がありました。
この小説に触れたのは、私が大学四年生時でした。同じ研究室にいたI君が、清張の大フアンで、ちょうどそのころに売り出された清張全集を月1回の発行ごとに買って読んでいました。
彼の好意もあって、その全集を毎月読ませていただきました。
それまでは、単行本でいくつか読んではいましたが、改めて読み直すと、「こんなにおもしろい本があったのか」と感激しながら、それをわくわくしながら読み進めたことを思い出します。
清張の小説の醍醐味は、その冒頭からぐいぐいと読者を引き込んでいくことにあります。「なぜか、どうしてなのか?」と、テーマの本質に迫る「十分に練られた問題設定」が示されるからです。
これは、清張を最大の師と仰いだ森村誠一の小説にも取り入れられています。
かれも、小説の最も大切な部分は、冒頭と最後だといい、そこに清張~学んだ視点を全力で生かそうとします。
前者においては、それが貧しい内容ですと、読者の興味は急速に薄れ、それを読み続ける意欲が無くなってしまうからです。
後者においては、その小説のテーマと結末を象徴的に示す文章で、読者の心に、それをふかく刻ませることができるかどうかが問われるからでした。
その意味で、このゼロの焦点は、結婚した直後に夫が疾走し、それを主人公の妻が追いかけ、その謎を解いていくという設定が見事であり、思わず読者や鑑賞者の思いを引き寄せることに成功しています。
その後の展開は、戦後の基地で米軍相手に働いていた風俗業の女性の問題までさかのぼり、この事件の真相が浮かび上がってきます。
その過去の忌まわしい記憶を持った女性が、自立を求めてもがき苦しむのですが、それが困難なために、最後には破滅していくという結末を迎えます。
男性である清張が、これらの女性の物語を見事に「戦後」という「歴史の問題」と結びつけながら、女性のことを描き切っているのです。
おそらく、このような結末を迎えた、その原点である「ゼロ」とは何であったのか?
さらには、主人公は夫を無くし、その夫の関係者もみな死んでしまい、ゼロになってしまった、それに焦点を当てる、このようなことを象徴的に表そうとしたのかもしれませんね。
松本清張さんは、たしか43歳で芥川賞をいただくという遅咲きの作家ですが、その後の活躍はみなさんご承知の通りです。
そして、生まれは広島、その幼少期には山口県下関市で過ごされたそうです。
この『ゼロの焦点』は55歳の時の作品であり、その前年には、あの有名な『点と線』が発表されていました。
この映画の最後では、主人公の妻が泣き崩れるシーンがあります。このときに流れた音楽が「オンリーユー」でした。
これにも、いろいろな意味が込められており、戦後の女性の新しい生き方について問題提起をする作品となっていました。
それにしても、この「構想力」、「心迫性」、「社会性」、そして「現代性」はすばらしく、再び、学生時代からの時空間を超えて「心に残るもの」となりました。
清張さんは、このような作品を世に出しながら、自らの「大衆性」を広げていかれました。
同じように「マイクロバブルの大衆的普及」の課題を有している私にとっては、とても参考になる作品となりました。
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