震災から、そして原発危機から1カ月が過ぎました。ここで、通常ですと、その災害や事故を振り返る時期になるのですが、前者においては、ひっきりなしに余震が続き、なにやら不気味な様相が感じられる様子があります。

なにせ、幅200mで長さ500kmの地殻が破断したというのですから、その後も、強い影響が残っています。

しかも、その余震が徐々に内陸部に近づいているようで、その直下型地震の発生が心配されています。

また、後者においては、その危機的状況を脱しているとはいえません。先日も、問題の電力会社の監査をされている、日本で一番の大学の元総長だった方が、テレビで地震・原発担当の官房副長官に対して意見を言っていました。

この監査さんは、放射能のレベルが3月16日を最高にして、徐々に減少しておいるから、もう問題はないのではないか、あたかも、その安全宣言を出したらどうかということを促す発言を熱心になされていました。

ところが、この官房副長官は、この甘言に対して、少しも表情を緩めず、まだ原子力プラントは安定していないので、引き続き監視を怠らないように最善の策を講じていきたいといわれていました。

アナウンサーの再度の質問に対しても、楽観は今の時点で許されないという、ある意味で当然の返事をしていました。

一方、この返事を聞いて、そこにおり場がなくなってしまったのが、この監査さんでした。昔は、このクラスの総長さんは、みな、国民のみなさんがおっとするような名言をなされていました。

たしか、学生時代に、「太った豚よりも、痩せたソクラテスになれ」といったのも、この大学の総長さんでした。

この典型的なシーンを見て、なんと、工学者はどうあるべきか、工学の粋を集めた最先端技術の塊であったはずの原発が、かくもなぜもろいのか、この問題に関する本質を改めて考えてみることの必要性を感じました。

この場合、情報が開示されていない側の問題と情報を得ている側の違いがありますが、それにしても、科学者、工学者とはどうあるべきか、どう発言すべきかについて、考えるところが少なくないシーンでした。

こうやって、危機の時には、物事がより明確に、そして露わになりやすいのですね。

それにしても、官房副長官の発言の背後には、何か深刻な問題があるにちがいないと思いました。

おそらく、うかつには楽観論をいえない、深刻な事態が依然として存在しているのだと思います。

「何かがあるはずだ!」、こう思っているときに、大きな余震が発生し、福島原発の第1号機から4号機までのうち、3機もが外部電源と遮断されてしまうという、考えられない事故が起きました。

そのために冷却用のポンプが無稼働になったのは50分だったそうですが、これでも、現在が応急措置の段階でしかないことが証明されてしまいました。

こうして何カ月も、あるいは何年も、このような状況が続き、その度に、諸々のことが明らかになってくるでしょうね。

現代工学の粋と最先端を集めたはずの原発、この技術と技術力にも大きな落とし穴の部分があったことは間違いないようで、同時にしっかりした科学者、工学者、技術者がその安全をと世の中をリードする必要があることを教えているように思われてなりません。

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