「東北地方の3大産業は、農業、水産業、部品などの金属加工業でした。海岸部の農業、水産業は津波で壊滅的打撃を受けました」
「そうでしたね。やはり、自然の力には逆らえないと言いますか、その後も何年にもわたって辛苦をなめる日々が続きました。
農業では、一端潮を被った土地が約1mも陥没し、ここで農業をしていた土地はほとんど使えないようになりました。
しかし、海の回復は早かったですね。船や加工場をなくした方もおられましたが、海では、その漁業資源が確保できたので、それが水産業復興の手助けになりました」
「それから、なんといっても、みなさんが協力して、それこそ力を合わせて復興に立ち向かったことがすばらしく、そのエネルギーが徐々に発展していきました」
「その様は、イタリアのボローニャ地方のみなさんの頑張りとよく似ていました。それこそ数人が集まり組合をつくって知恵を出し合い、協力していくという事例がいくつも生まれました」
「みんなで手を取り合って、みそやしょうゆづくり、イチゴづくり、水産加工物づくりがなされるようになり、それがみごとに発展していきました。
東北の地方のみなさんの智恵と工夫、そして粘り、これにはすばらしいものがありました。私も、この地方の出身ですから、そのことをよく理解していたつもりですが、ここまでの底力があったのか、発揮できるのかと吃驚しました」
「それから、金属加工業においても、重要な変化が起こりました。なにせ、地震直後には世界中の自動車生産に影響を与えるほどの影響を与えましたので、この立ち直りも重要でした。
しかし、この災害を契機にして、大手企業の工場は徐々に海外へとシフトしていきました。そして、そこに残されたのは中小の零細企業のみでした」
「その通りですね。昔、NHKの大河ドラマに『樅の木は残った』というのがありましたが、それこそ、『農業と水産業、そして中小企業が、さらには高齢者が残った』のでした」
「あの「大河ドラマはすばらしかったですね。若き日の平幹二郎の熱演、それから吉永小百合さんの初々しい表情が最高でした」
「そうですよ、演出者の吉田直哉さんが、画面いっぱいに演者の表情を撮っていく手法には相当の迫力がありました」
「そして、主人公が植えた樅の木が残ったということになりましたが、これと同じように、地震と津波、それから今なお続いている原発事故で、それこそ多くのものが根こそぎ持っていかれましたが、その樅の木に相当する大切なものが残り、芽生えていきました」
「それが、力を合わせて、手に手を取り合って地域を支え、自らの生活をつくりだすことでした。その『共生と自立』が『樅の木』として残ったのです。これは、ィーハトーブの宮沢賢治の思想を見事に受け継いだことでもあります」
「それにしても、地震と津波の直後には、さまざまな復興案が提案されていましたが、そのなかには首をかしげるようなものが少なくありませんでした。震災直後から『復興税』という名の消費税を打ち出すのですから、その本音が丸見えになりました」
「そうでしたね。被災者のみなさんは、地震、津波、原発に加えて消費税にも襲われるというのですから、たまったものではありませんでした。当然のことながら国民からは総すかんに合うのは目に見えていました。
あれから、すぐに内閣が倒れ、その後は何をしているのでしょうか、国民不在の『四分五裂』を繰り返しているようです」
「それから、世界に発信できる研究拠点をつくれ、ついでに東北州にしたらどうですかどうですか、首都機能の一部を福島に移設してらどうですかなどという、なにか現実離れした意見もずいぶん提案されていました」
「いずれも現実とかなりかけ離れた考えですね。どうして、地元から、現場から考えようとしないのでしょうか。なにか、上からの目線ですと、どうもそのようになるようです。
たとえば、世界拠点となるような研究所は、東北のT市にすでに鳴り物入りでできていますが、その地元での評判はさっぱりのようです。これは、沖縄でも同じような研究機関がつくられていますが、それが沖縄や東北地方に何らかの貢献をしたかというと、どうもそうではなかったようです」
「東北も沖縄も、世界の一部ですから、世界的な研究拠点を標榜するのであれば、まず地元に貢献できるレベルまで高度な水準を有し、それを踏まえて世界各国にも通用するものである必要があります」
「農業、水産業、中小企業、それらが樅の木のように残ったのです。ここで、キリキリ総合研究所の役割が重要になりました」(つづく)
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