大船渡全景11

先日も掲載させていただいた写真を再録し、この写真の説明を加えさせていただきます。

まず、本写真には、大船渡湾奥と中間部の領域におけるほぼ全域が示されています。

ご周知のように、大船渡湾の横幅は2km、湾口から湾奥が約10km、そして水深が平均で22mとされています。

この写真の左側の盛川から、河川水が流れ込み海水と混ざりあいます。

写真中央部のところに大きな船が泊っていますが、この右側の海域が赤崎町の清水(シズ)というところで、ここの海域がカキ養殖にもっも適している魚場のひとつといわれています。

盛川から流れた河川水が海水と混ざり、カキ養殖に適した植物プランクトンが発生し、しかも、上流と下流からの海水の交換がなされる場所であると推測できます。

この海域の手前の陸地に目をやりますと、そこには何もないこと気づくはずです。ここが、大津波で壊滅的打撃と破壊を受けた西側の旧市街地です。

この地域に残っているのは、比較的丈夫なコンクリート建造物ですが、その1階から2階部分のほとんどは、今回の大津波で破壊されています。

上記のように、大船渡湾の平均水深は22mですから、実際の津波は、それに加えて10m~30mの波の高さになったようで、この画面の西側部分がまるで川の流れのように覆いかぶさって逆流してきたことが想像されます。

実際に、大津波は、この西側市街地から湾奥にまで到達し、それから、左右のより低い部分と盛川の3つに分かれて進行していったのだと思います。

大船渡に何度か訪れて、実際の津波がどのように進行していったのか、そして、被災の全体はどうなっているのか、これを一挙に把握できるところはないかと、その撮影場所を探して回りました。

しかし、なかなか良い場所がなく、何度かの探索を経て、偶然、この場所を道に迷いながら探し出すことができました。

「この光景を探していた!」

思わず、叫びたくなるほどの景色に出あい、苦労して探したかいがあったと思いました。

それにしても、この写真からも明らかなように、今回の大津波の桁違いの大きさが、これからも如実に判断することができます。

ここには、尊い命や生活、そして産業があったのですが、それらが根こそぎ奪い去られてしまったのです。

そして、その結果としての「今」が、このように映し出されているのです。写真右の奥には、私たちのマイクロバブル実験場があります(写真では見えないより右の海域)。

これは、大津波という災禍によって破壊され、流されてしまった「社会的経済的資源」と「自然」を取り戻す試みです。

当然のことながら、このような被災地には幾多の、そして幾層もの困難が待ち受けています。それらをマイクロバブルが乗り越えることができるかどうか、そのことが日々試されていることでもあります(つづく)。