ホテルでは、朝早く目覚めて、いつものように風呂へ、早速携帯用マイクロバブル装置に付け替え旅先でのマイクロバブル入浴を楽しみました。
これでより元気になり、少し早目の朝食をとりにいきました。広いレストランでは、もうすでに多くの方々が来ていて、そろそろ込み合い始めていました。
いつものように、このレストランでは洋食系の食べ物が洗練されていて、食べるメニューがほぼ決まっています。
まずは、フレンチトーストとホットケーキ、それから野菜スープ、ベーコン、それから野菜も少々多めにしました。このいつもより思い朝食を、ゆっくり時間をかけていただき、陸奥への旅に備えました。
東京駅からは、はやぶさに乗って仙台へ、それからやまびこに乗り継いで一ノ関へと向かい増した。心配していた天気も回復し、この旅ではいつも天気の具合(夏は暑くなく、秋は晴れて)がよく、その幸運さに今回も驚くとともに感謝しました。
一ノ関からはレンタカーで一路気仙沼へ、ここで秋の景色の美しさに感激しました。おそらく、昨日は雨だったのでしょう。その成果、車窓からの景色が一際鮮やかで、それに紅葉が美しさを防火させていました。
こちらはもう秋の紅葉の真っ盛り、何度も見てきた山々がすべて色づき、秋の景色に染まっているではないですか。
「美しいなぁー、どこかで『男はつらいよ』の寅さんが出てきそうな景色だね」
このような冗談をいいながら、この陸奥の美しさを楽しみました。
(後で地元の方に聞いたら、とっくの昔に紅葉の季節は過ぎているそうで、今年は、それが約1ヵ月ほど遅れているのだそうです。
その温暖化で、サンマも南下せず、北海道根室付近に留まっていたようで、昨日あたりから南下を始めたそうです)
丁度、一関から気仙沼に向かう時刻がお昼時でしたので、いつものカニ弁当(1000円)を買い、車の中でいただきました。
このカニ弁、その味付けをしているのが、長万部のカニ弁とやや違うtころで、美味しさはどちらもハイレベルです。
途中、Sさんに道案内をいつものようにしていただき、気仙沼の奥深くに入っていきました。
そこには至る所に大津波の爪痕が残されたままで、破壊された家屋、流されてなにもかも無くなった工場、枯れた杉や松の木、そこには10数メートルも高いところに海の浮き玉がひっかかったままのところもありました。
おまけに、海岸線は約80cmほど沈んだままで、道路が冠水して仮設の道路がようやくできて、そこを恐る恐る車が通行していました。
現地の方の話によれば、一人大工さんを住み込みで雇って、工場や家屋の再建を行っているそうですが、それでも間に合わず、自分で何もかも建設していくのだといっておられました。
だれかに頼るのではなく、自分の責任で実行している姿を目のあたりにして、とても立派な心強さを感じました。
やはり男子たるもの、このように自立心が旺盛でなくてはなりません。
近頃、このようにたくましい方が少なくなってきたのでしょうか、それとも、大震災のような被害を受けないと目が覚めないのでしょうか、自ら困難に真正面から立ち向かう方々が少ないことが少々気になっていましたので、とても印象深jく感じました。
これらの視察を終えて、次のマイクロバブル実験を行っているところに向かいました。すでにホタテの実験を済ませて、好印象を得ていたようで、そこでのマイクロバブルの出方の調整を行いました。
これから何万個という数のホタテを育てるわけですから、マイクロバブルで、それらを斃死させることなく立派に成長させることが重要です。
さて、この湾は、その出入り口が非常に狭く、ここで海水交換がなされます。深さは20m程度ですから、深くも浅くもありません。幅が百数j十メートル、奥行きが数百メートルですから、小さな内湾といえます。
ここを大船渡湾と比較しますと、その規模は十分の一程度ですが、問題は、その海水交換の比率がやや劣っているように思いました。
また、プランクトンの発生量もそんなに多くは内容でしたので、こういうところこそマイクロバブルが活躍しがいのあるところではないかと思いました。
それにしても、大津波の爪痕が残ったままでしたが、マイクロバブルの活躍がいついては、心に残る小さな内湾でした。
マイクロバブル発生装置の調整を終え、「今が一番よい出方をしています。この状態を参考にしてください」と申し添えて気仙沼を後にしました。
車は、秋の陸奥路を北上し、釜石を目指しました(つづく)。
木の高い部分に挟まったままの浮き玉、ここまで津波が押し寄せた証拠である。
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