塩野さんは、歴史をオペラに例えます。その音楽作品は、すでに出来上がっていて、自分は、どう唄い、どう演ずるかの役割を果たす方だ自己分析をされています。
たしかに、歴史的事実としての「オペラ」はできあがっており、それをどう演ずるか、すなわち、どう描くかは書き手の問題となります。
歌い手がマリア・カラスやホセ・ドミンゴのように優れていれば、そのオペラがみごとに引き立つわけで、彼女の歴史物語では、その歌う声の質や音量、そして演技の在り方が問われたのでした。
オペラ歌手が、「こう歌いたい」と思うように、彼女は、「こう描きたい」と強烈に念じ、描いていくのです。
また、彼女の「描き方」には、「行き当りばったり」という特徴があるそうです。これは、ユリウス・カエサルにも通じることかもしれません。
彼女は、この「行き当りばったり」を、映画監督の2つのタイプに分けて説明していました。
映画監督には、何事も脚本通りにきちんと撮影していくタイプと撮影の途中で起きた「ハプニング」で何かをつかみシナリオを変えていくタイプがあり、後者の典型が、黒澤明監督だそうです。
彼から、直に聞いた話として、俳優の三船敏郎さんのことが出てきました。
「じつは、三船が落馬してねえー」
と、実話を紹介されていました。これは、映画『7人の侍』に出てくる三船敏郎の「落馬シーン」のことだと思います。
三船が小さな馬に乗って駆け出し、途中で落馬し、島田勘兵衛役の志村喬らが、ほほえましく笑って見つめていました。
このシーンは、なんとほほえましく、楽しいことかと思っていましたが、やはり、シナリオにはない異質のハプニングだったのですね。
黒澤明監督は、この三船の落馬を通じて、主役の一人である、菊千代こと三船をおもしろく描こうとし、波に乗ったのですね。
彼女も、この波に乗るタイプだそうで、優等生的な歴史文書を書くことを好みません。
始終メモを取り、部屋の中を動き周り、自分で自分に文句を言い、いざ書き始めると休みもなしに書くのだそうです。
彼女の著作のペースは、1年に1冊です。仮に、そのページ数を365としますと、それは1日1ページに相当します。
事前の調査や他の雑用、休養などを考慮しますと、それらの合計をその半分としますと、1日2ページの割合になります。
このペースで根気よく、時には動き周りながらぶつくさと言い、ひたすら書き続けるのです。こうなると定年もへったくれもなく、好きなことをしながら、大好きな書きものをしていくのです。
こうして、15年間で15冊の本を書きあげたのです。
私も、2006年に『マイクロバブルのすべて』を書きましたが、それ以降は中断の連続で、この「1年1冊」のペースには驚嘆してしまいます。やはり、集中が必要なのですね。
この持続する力について、さらに素敵な事例が紹介されます。
それは、イタリアのノーベル医学賞者、モンタルチーニさんが100歳なったときにインタビューを受けて、「なぜ、長生きできたのか」の質問に、次のように返事をされていたことでした。
「私は、明日やる仕事がわかっている」
まことに、おもしろくゆかいな返事だと思いました。
「私たちは、明日やるべき仕事をわかっているでしょうか?」(つづく)。
大船渡湾の日の出(2012年1月、筆者撮影)
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