「私は、明日やることがわかっている」、イタリアのノーベル賞受賞者が語った長生きの秘訣だそうで、塩野さんは、この発言を気に入られたそうで、

「私も、明日やることがわかっているので、長生きする」

と仰られていました。彼女の場合、「明日やること」とは、前日に書いた原稿を見直し、推敲することだそうで、これですと、書き続けることによって、かならず明日やるべきことができるわけですから、書くことが長生きの秘訣ということになります。

「これで、私も長生きできる!」

「もう、これで終わりか」と思い始めている方にとっては、このような気付きは、それこそ天と地ほどの違いがあります。さぞかし、モンタルチーヌの言葉を喜ばれたことでしょう。

みなさん、書くことが得意な方は、書き続ければよいのです。なにか、もの作りが好きな方は、作り続ければよいのです。そして、思索が好きな方は、考え続ければよいのです。

どうか、明日やるべきことを見出して、長生きの秘訣を得てください。

さて、インタビューは、ローマ人の物語の主人公であるユリウス・カエサルの話に入っていきます。聞き手のアナウンサーもきちんと予習をしてきていますので、徐々に話がかみ合って佳境に入っていきました。

「カエサルとは、どんな人物だったのですか?」

即座に次のような返事がありました。

「非常にローマ的な男です」

こういわれても、その「ローマ的」の意味がよくわかりません。

「日頃は、ちゃらんぽらんだけど、必要な時には締めることができる人物です」

ますます、よくわからなくなります。

「かれは、もともと成長株ではなかった。競馬でいえば、最後の直線距離で出てきて追い上げにおいて勝負した人物です。年齢でいえば、40歳過ぎから頑張って、のし上がっていったのです」

これでも、まだよくわかりません。

この直線距離のレースとは、彼がガリアでの戦いを終えて、武装したままルビコン川を渡った時以来の5年間のことをいっているのだと思います(当時のローマでは、武装したままルビコン川を渡ることは禁じられていました)。

このわずか5年の戦いを通じて、カエサルは、ローマ帝国のトップになったのです。

しかし、「ちゃらんぽらんで、そのトップになれるのか?」

この疑問が湧いてくるのはむしろ当然のことです。

おそらく、この「ちゃらんぽらん」には、いろいろな意味が含まれていて、

1)戦争の準備が整っていなくても自ら出兵する

2)人数において劣性であっても闘いに挑む

3)戦いの後は、敵を殺さず、解放する

4)侵略地に対しても「寛容」の精神で対応し、ローマ的市民権と同等の措置を促す

5)愛人の存在を隠さず、公言する

6)相手をたぶらかす

などがあったのではないでしょうか。これらは、ローマ人の物語をよく読んで初めてわかったことですが、カエサルは、どんな劣性であっても、すなわち、不利であっても、それを十分に有利に変えて、最後には戦いに勝っていく実践的資質に優れていたのだと思います。

彼の場合、常識や定式は存在せず、常に、その置かれた状況から、最適な方法を編み出し、その通りを実践していき、たとえ失敗しても、それを二度と繰り返さず、新たな勝利へと導いていったのです。

ですから、何も考えずに出兵することができ、現場での調査と状況を踏まえて、常に最適の方法を考え出すという、ある意味で、「鋭く、大きな直観」が大いに働いていたのだと思います。

また、その直観をガリアでの実戦において磨きあげ、洗練させていったのだと思います。

これはなかなか経験できないことであり、それが、「ちゃらんぽらん」と見られることはあり得たのではないでしょうか。

「あの人は何を考えているのかよくわからない」

こういわれていても、実際に行動すると、「なるほど、そうだったのか。そのように考えていたのか」、このように思う事例が多々あります。

「ユリウス・カエサル」、かれは、その「ちゃらんぽらんな人間」だったようですね(つづく)。

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