塩野七生さんの100年インタビューも後半の佳境の部分に差し掛かり、「時代を切り開くパワー」についての話題に移りました。

日本人は、第二次世界大戦直後に、このパワーを発揮し、それが戦後の再建に役立ちました。

やがて、物が安くて治安がよく、生活水準も高い日本ができあがりました。

しかし、今や、そのパワーは消え、覇気がなくなってしまいました。

歴史的には、時代が変わるごとに移動し、英国、アメリカ、日本、そして中国へと移動していったのです。

今の日本人はたくさんの物を持っていますが、中国人の大半は何ももっていないのです。

この物を得ようとする力こそ、時代を切り開くパワーだというのです。

戦後の日本を見ると、10年ぐらいは、物事に投資する余裕があった時もありました。それは、料理やお菓子を見ることでわかります。バラエティがあり、無駄なことですが、新しいことは、この無駄からしか生まれません。 

「期待はされないけれど、やってみな!」

このような精神的および物質的余裕がないと新しいものは生まれないのです。

物事は、損をするときに一番早く、よくわかります。逆に、何を得するのかがよくわかりにくく、時間がかかります。そんな時には、リーダーが判断を示す必要があります。

政治家は、魚でいう頭であり、この部分が腐ると身の方まで腐ってしまいます。ところが、今の政治家たちは、世界中で、何が重要かをわかっていないようです。

こうなってしまったのも、平和の代償でしょうか。戦後の日本においては、だれも助けてくれませんでした。

日本人は、具体的な問題を解決するのはうまいのですが、最近は、抽象的なものを想定する必要が多くなってきました。

この抽象的に考えることを、あまり得意とはしていない、ここが重要なのです。

さて、ユリウス・カエサルに戻ることにしましょう。彼が徹底した政策は、「クリメンティス(寛容)」は、抽象的に考えることの典型でした。

たとえ敵の大将であろうと、戦いが終われば、許して逃がしたのです。カエサル自身は、その「クリメンティス」を実行することが「最高の徳」であると昇華することができたのです。

そして、この政策こそが、超大国ローマが長きにわたって存続できる基盤を形成させていったのです。

この長きにわたって、国を繁栄させる、その抽象的想定の政策を考え、実行することが求められているのです。

政治を司る方々の頭のなかには、具体的な「消費税」、「普天間基地」、「TTP」しかないようで、いつのまにか、「福島の再生なくして日本の再生なし」と抽象的に叫んだことを忘れてしまっているようです。

ここにも、典型的な日本人の問題が露呈しているようで、そのことはだれの目にも明らかになり始めているように思われます(つづく)。

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