この3日間、実験室の装置の整理・廃棄に明け暮れていました。長い間、研究を続けてきましたので、しかも、物持ちがよいほうですから、装置や器具が実験室内に相当な量で蓄積されることになりました。

これらを一挙に処分することになり、それこそ身を粉にして久しぶりに働くことになりました。

しかし、この作業は3日で終わらず、いまだ山を越えていません。これからも相当な量が残っていて、ここにも、36年の歳月の重みを感じることができます。

おそらく、今月末まで、延々と続くことになるでしょう。

さて、連載してきたM君のメッセージも大切な締めくくりの部分になってきました。以下、赤字で彼の原文を示します。

もうひとつは、研究・事業への取り組みが独創的でありゲリラ的であるという点であります。

これは、弱者が強者と闘う必須の戦略であり、地方が中央と、小国が大国と、後発者が先行者と競う時の当然の方法で、これには我々も地方の中堅企業の技術者して見習う点があると思うのですが、

何がしかの人々にはこうした戦略が理解されず、先生が「山師」呼ばわりされることもあった一因と思います。

これは、真に的を射ている指摘です。この間、高専というところに身を置かせていただたことで、この独特の「独創」、ときには「ゲリラ的」様相も帯びながら、「何かよい知恵はないか」とひたすら考え、探し続けてきました。

これが、「重要な何か」であり、最近では、それが発展して「鋭く、大きな直観」となり、さらには、その「知を力」にすることでもありました。

私たちの場合、研究教育の分野では常に小国であり、その小国は田舎の地方に存在し、常に後発者からのスタートでした。

また、スタッフも少なく、お金にも恵まれていませんでしたので、あるのはアイデアのみ、置かれた不利な条件を十分な有利に変えてしまう工夫を、どうすれば得られるのか、そのことばかりを考え続けてきました。

M君は、このゲリラ的発想に関連して、「山師(やまし)」という言葉を引用しています。彼が、どのような意味で、これを使用したかについては正確な把握ができませんが、辞書には、次の4通りがあります。

1.鉱脈の発見・鑑定や鉱石の採算事業を行う人

2.山林の買い付けや伐採を請け負う人。

3.投機的な事業で大もうけをねらう人。投機師。

4.詐欺師。いかさま師。

あるとき、この2番目を行っていた「山師」に会うことがありました。現在は、長野県で大きなホテルを経営されていますが、若いころは山師でしたと自己紹介を受けたことがあります。

この方は、山に入り、木がどのように生えているかを調べ、山の売り買いをしたと仰られていました。このとき、大切なことは、その木々の繁茂の観察であり、それによって山の値段が決まるといっていました。

おそらく、M君は、前二者の意味で、この言葉を引用されたのだと思いますが、そうであれば、鉱脈や木の推定や売り買いを行うことに関することであり、後者の3では、その才覚がなく、4であれば、そこまでの知恵がない、劣っているというのが正直なところです。

広大な地下資源や山林の推定には、「鋭く、大きな直観」が必要であり、その意味では、彼の引用は間違ってはいないように思われますが、いかがでしょうか。

さて、その小国の問題ですが、これも世の常といいましょうか。小国が故に、そのなかもなかなかまとまっていないことが少なくなく、そのなかで形成された独特の慣習に固執してしまうをよく見かけます。

この場合には、小国内で決まって内乱が起き、それに少なくない時間を費やし、明け暮れてしまうのです。

この対応には、じっと小国の掟を守り、我慢に徹するか、それとも、そこを飛び出して全国の小国の士と連合を組むか、そのいずれかしかありません。

私の場合は、これが大学や高専の連携と結びついていきました。この連携においては、高専だからといって気おくれをしないことがとても重要でした。

おそらく、M君も同じような思いの連続だったのだと思い、そのことに共感してくれたのかもしれませんね。

また、彼には、Yさんという諸葛孔明のような知恵士がいました。Yさんは、私にも、いろいろな知恵と「機会」を授けてくださり、そして「連続して爆発せよ!」という熱い手紙を寄せていただいたこともあります。

もしかして、このYさんこそ、本当の山師であり、M君も私も、その家来のような存在だったのかもしれませんね。

つづく

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