奈良に着くと、今にも雨が降りそうな天候の曇り空でした。しかし、さすが古都ですね。大勢の観光客や鹿がたくさんいて賑わっていました。

丁度昼時でしたので、どこか美味しい店はないかと一番の繁華街をすこし歩いて探しました。ここでは、商店街が成り立ち、お菓子屋さんや食堂などがいくつもありました。

古都の歴史とともに、このような生業が成り立っているのですね。

先着して、装置の導入を行っていたYO氏の勧めもあって和食屋に入りました。ここもお客さんが多く繁盛していました。彼とは、先に海士町で別れた後、3日ぶりの再会でした。

さて、何を食べるかと相談をしていると、腕になにやら腕章をしてるではないですか。

「ここでは、腕章がいるのですか?」

と尋ねると、

「そうです。ここでは、これがないと敷地内に入れないことになっています」

という返事がありました。

私は、京都風の和食弁当、彼は、どういうわけか、ステーキととんかつの2種類が頼めるランチを注文し、マイクロバブル装置の設置の様子を聞きながら、楽しい食事をさせていただきました。

その後、現地の池の視察、この池等を詳しく調査されている大学の若い先生とも現地で会い、その浄化プランを説明していただきました。

古都を担う寺院の池がかなり汚れ、魚や貝も住めなくなっていますので、これをなんとか改善できるとよいですね。

折しも、運悪く雨が本格的に降り始め、傘を差しながらの視察となりました。今後の池の浄化については、この若い先生と研究交流をさせていただくことになりました。

この後、奈良から大和郡山までいき、教育研究集会が開催されていた地元の高専に到着しました。

すでに何回か来たことがある高専で、懐かしいK先生やH先生等とも再会し、旧交を温めることができました。

この集会も第21回を迎えたようで、私は、それこそ、その21年前に、この開催が可能となる仕事に関係させていただきましたので、それこそ40歳そこそこの頃のことを懐かしい思い出しました。

この講演では、高専50年の歴史のなかから「何を学ぶか」について話をさせていただきました。

歴史の中では、何事も、同じことを繰り返すのかもしれません。始まりは苦闘の連続であっても、それが確立してくると、その苦闘は何もなかったように忘れられ、そこには、自然の営みがなされているかのように見えてきます。

あのユリウス・カエサルも戦争に次ぐ戦争に明け暮れ、超大国ローマを築く礎になりました。

高専はわずか50年ですから、ローマとは比較にならない小さなスケールですが、同じように、日々の教育研究に関する苦闘の中から見出され、確立されてきたことによってみごとに実行されています。

その原動力は、優れた高専生と教職員にあり、その長所を引き継ぎ、粘り強く発展させていったことにあります。

この本質を見抜き、理論化を行い、実践的に鍛えられた結果をさらに普遍化するために理論化する、このような作業が、この高専50年問題にも必要なようです。

今回の講演が、その契機となれば幸いであり、それが私に与えられた仕事なのかもしれません。幸いにも、この講演の直後に原稿依頼があり、この問題を展開するよい機会を得ることができたように思います。

そして、この3月としては最後の講演が終わったようで、帰りの新幹線のなかではほっと肩をなで下ろしました。

折しも、新幹線の中は旅行客で満員に近く、いつのまにか春たけなわの旅行シーズーンに突急していることを知りました。

いよいよ、これから、最後の引っ越し・移転作業に本格的に取り組むことになります。

古都奈良では、2つのさわやかな経験をすることができました。関係者のみなさま、ありがとうございました。

(この稿おわり)