歴史には、必ずといってよいほどに不明の部分がある。というか、わかっていることが少なく、実際は不明の部分だらけといった方が真実に近いのかもしれない。
これは、吉田寅次郎、後の吉田松陰についても同じである。
萩の野山獄に入れられてからも、松陰は、浦賀沖で世を明かして話したペリー提督のことを思い出していた。
「あなた方は、攘夷(じょうい)といって、外国の私たちを追い出そうとしているが、本当にそれでよいのか。そのようなことをいっていては、ますます遅れた国になるだけではないか?」
「私たちが攘夷というのは、まず、この日本をしっかりとした国にして、諸外国と対等に接することが先だ、そのために今は攘夷といっているのです」
「今の幕府に、そのような国づくりができますか?」
「残念ながら、それはできません。ですから、天皇のもとに、新しい国づくりをする必要があります」
「そうであれば、今の幕府は必要ないということですか。
私たちは、日本の代表として徳川幕府と条約を結ぼうとしているのですよ。あなたのいうとおりだと、それは無駄になるということですね」
ペリーは、徳川幕府が日本の国を代表する機関としては力を持っていないことをよく理解していた。
それゆえに、軍艦で押し寄せ、開国を迫るという強引な方法を用いても、それはなんとかなると思っていた。
そして、一介の侍にすぎない若者が、このように自分の国の将来をしっかり考えていることに驚き、尊敬の念さえ湧いてきた。
「徳川幕府には、諸藩を束ねて、この国を引っ張っていく力がありません。ですから、天皇の下に・・・」
「その天皇とは、どのような方ですか? エンペラーのことですか?」
「武士が世の中に君臨する前には、天皇が、世の中をおさめていました。
外国のエンペラーと同じですが、わが国の天皇は、武士を軍隊として傍に置いていました。あなたの国には、エンペラーがいるのですか?」
「いません。私たちの国には大統領しかいません」
「ダイトウリョウ? それはどういう人ですか」
「私たちは、国の代表者として大統領を選挙で選びます。大統領選挙には、だれでも立候補できます」
「民、百姓であても同じすか?」
「同じです。身分の違いで大統領になれないということはありません」
「侍の世の中ではない、ということですか?」
「そうです。農民や商人であっても、侍、私たちのような軍人になることができます」
松陰にとっては驚きの連続であった。聞けば聞くほど、自分の国が遅れていることを理解した。
「ーーー 国の大元から違っている、遅れている。これでは、負ける、必ず負ける」
と思いながら、しばらく考え込んでいた松陰に、ペリーが尋ねた。
「あなた方は攘夷を叫んでしますが、そのことをあなたの家族は賛同していますか?」
「いや、この国を守るのは侍であり、攘夷は侍が唱えていることです」
「ということは、多くの家族のみなさんは攘夷を理解していないし、賛同もしていないということですか?」
「ーーー この国のことは侍が考えることだ! それでよい、今までもそうであった!」
こういおうとしたが、松陰はじっと我慢して黙っていた。
「あなた方は、いったいだれのために国を守ろうとしているのですか? 徳川幕府のためですか、長州藩のためですか、それとも家族のためですか?」
ずばり、最も大切な問題の核心に切り込まれ、松陰は、思わず、こういうしかなかった。
「家族のことを思わない侍が、どこにいる!侍は、自分の家族のことを大切だと思っている!」
ペリーは、これ以上の追究を控えた。松陰の態度から、親や家族を思う気持ちが溢れ出ていることをふかく理解したからであった。
「寅次郎さん、また、どこかで会いましょう!」
ペリー提督が最後に発したことばであった。
つづく
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