これは、教え子のM君が聞けば、真に泣いて喜ぶような話です。そして、不思議な話でもあり、結果が徐々に良くなっている話でもあり、希望が湧いてくる、ゆかいな話です。

M君は、大手情報通信会社の真面目な社員ですが、その性格からすると、とても、この器には収まらないのではないかと思っていました。

そしたら、M君は、あることで、そのエネルギーを発散させていたのです。これ以上書くと、M君の出世にかかわりますので、M君の話は、ここまでとしますが、じつは、これは不思議でおもしろい、ゆかいな話です。

その記事のタイトルを、さんざん悩んだ末に、「0.5秒」としました。より具体的な数値を記すことで単純明快になったのではないでしょうか。

さて、この「0.5秒とは何か」が問題ですが、何だと思われますか?

優れた直感を持った方は、何か速度に関するものではないかと想像されるかもしれませんね。

たとえば、陸上競技の100m競争ですと、この間を10秒弱で走り、その速さを競い合います。

1秒間で10mも走るのですから、それが0.5秒ですと、約5mの違いになり、その差は圧倒的な違いとして考えられています。

また、これが時速75kmで走る車となりますと、人が走る速度の約2倍になりますので、0.5秒で約10mの差が出てしまうということになります。

陸上競技、水泳、カーレースなど、スピードを競う場合に、0.5秒とは、その勝負に勝てるかどうかを決めるほどの「時間差」であるといえます。

そこで、その「走る競技とは何か」が気になり始めたのではないかと思われますが、じつは、それが、M君の大好きな競技なのです。

この動物は、時速75kmの車と同じ速度で走りますので、その0.5秒差は、距離に換算して約10mもの差になってしまいます。

昔流行った唄に、「追いつけ、追い越せ、引っこ抜け!」というフレーズがありましたが、この10mの差で、それができるかどうかの差になってしまうのです。

次に、この0.5秒の差が、どのようにして生まれたのか、これが極めて重要になります。しかし、この開示は微妙な問題を含んでいますので、今のところは差し控えさせていただきます。

一般に、動物が走る速度は、そのDNAに依存すると考えられています。速い種族の動物は、速い子供を生みだすことから、その種族の維持、発展に心血が注がれています。

しかし、このDNA以外の要素で、この「0.5秒」の短縮が可能となると、これは、そのDNA問題を乗り越えてしまうことになり、「ここがおもしろいのです」といわれ、「それはそうだ!」と思うようになりました。

これを人に例えれば、駄馬のような人が、サラブレッドを追い抜く話ですから、ここにおもしろさ、ゆかいさが出てくるのではないかと思います。

この「0.5秒」が、さらに伸びて「1秒」になると、すごい話になりますね。そうなるとM君が飛びあがって喜ぶことでしょう。

つづく