昨日の長雨と打って変わって、本日は快晴。久しぶりに早朝散歩に出かけました。
この向陽台という団地には電線がなく、私がかつて住んでいたドイツのゲッチンゲン市にあるガイスマーという地名の住宅団地とよく似ています。
ただし、このガイスマーの方が緑や立木が多く、森の中にあるような雰囲気でしたが、ここはそこまでもなく、美しい家並みがよく見えています。
そして今日は珍しく北から、丁度背後の小城山から降りてくるように、ここちよい風が吹いてきて、団地の中を通り過ぎていました。
その途中で珍しいものを見ました。最近はほとんど見たことがない燕が、それこそ、すいすいと、かなりの数で飛んでいました。
ここは、このようにたくさんの燕が飛ぶところなのですね。そのことを知りませんでした。
小説『日本沈没』では、渡老人が、田所雄介氏に、
「最近は燕が来なくなった。どうしてでしょうか?」
と尋ね、試問するシーンがありました。ここでは、このように燕が飛んでいますので、まだ貴重な自然が存在していることについての理解をより深めました。
さて、こちらの自然や気候に徐々に慣れてきて、私の移転期間がそろそろ終わろうとしています。
なにか、少し、そのように思えてきたような気がするだけのことですが、これは私にとっては重要な変化の兆しなるのかもしれないと思い始めています。
そういえば、このような思いを、どこかでしていたと、その過去の記憶を探り、それは、ドイツにいたときであったと思い当りました。
思えばドイツ滞在が3カ月あたりから、何かが変わり始めました。その最初は、それまで蓄積されていた心労が、まるで溶け始めたかのようで、心身が楽になりました。
「疲れの正体とは、このようなものだったのか!」
それが抜け落ちて初めてわかるといいましょうか、そのような感慨に深く浸ったことがありました。
それから私は変身し、時間を見つけては街中を歩き、それで飽きたら、郊外を歩いて周りました。
「ベートベン」や「モーツァルト」をウォーくマンで聞きながら、よく歩き、数えてみると月に200kmは歩いていました。
この歩きのおかげでスリムになり、心身のバランスがとれるようになりました。
どうやら、それと同じ3カ月で、その時と同じような感じになってきました。これが最近の実感であり、本日の散歩のときの燕を見て、風を感じ、その時がきたと、ますます思うようになりました。
あれから18年、この歩きの効用で、それ以後において、なんとか持ちこたえることができたという気がしています。
しかし、そのエネルギーも、そろそろ、ここまでだったかと思っています。
新たなエネルギー補給のために、どうやら、再び歩き始めることが必要なようです。
幸いに、ここは1800年の歴史がある「歩きの地」です。どこから、その踏破を始めようか、その思案をして楽しんでいます。
まずは、裏山の小城観音、そして、「西の三浦梅園の里」あたりが最初のターゲットになりそうです。
この歩きで、また何か新しいものを見いだせるとよいですね。
梅雨の合間に、すこし、これからのことを考えてみました。
スイー、スイーと、みごとに飛ぶ燕から、すこし刺激を受けました。
つづく
本日の小城山、筆者撮影。
コメント