日本高専学会会長の4年を終えて

 日本高専学会では、会長職を異例の2期、4年間を務めさせていただきました。

 おかげで、非常に貴重な体験をいくつもさせていただき、さまざまなことを学ばせていただきました。

 幸いにも、会長として最初に臨んだのが創立10周年記念の年会となりました。

 木更津高専の教員を中心とした実行委員会の尽力によって、約1000人が参加するという画期的な成功が得られました。

 参加者の多くは、地域の親子、高専生、高専教員でしたが、これだけの人数が集まると、物事において本質的な変化が起こり、その後にも小さくない影響を与えることを理解しました。

 まず、なぜ、これだけ多くの人々が集まったのか、これを考えましたが、その答えを見出すことは、ある意味で簡単でした。

 それは、みなさんが集まるだけの魅力的な企画を実践していたからで、その企画性において、いかに知恵を絞るかが非常に重要であることに気付きました。

 つまり、多くのみなさまの要望に応えることで社会に役立つこと、これをストレートに追及し、そこに活路を見出していけば、その取組は必ず成功し、発展することを学びました。

 以後、この方針に基いて、大都市や地方の各都市で、シンポジウムやフォーラムなどを開催してきましたが、いずれも200名前後の多数の参加者を得て、貴重な成果を得ることができました。

 また、これらの取り組みは、日本混相流学会と日本高専学会の共同でなされ、両学会の社会的貢献活動における重要な役割を果たす結果の一つともなりました。

重要な反省

 しかし、これらの成功の影で、次の重要な反省も生まれてきました。

① シンポジウムやフォーラムは単発的な取り組みに終わりがちで、それらを支える持続的な研究主体の基盤形成において不十分さがあった。

② 技術に関する社会的実践が少ないか、あるいは一部に閉じ込められていて、それが共同を実現する制約の壁になっていて、それを広げることができなかった。

③ 大学・高専や企業における研究においては、先端技術を究明することにおいては非常に熱心であるが、それとは異なる未知の分野の研究開発には意外と関心が払われていない。

 しかし、その異分野に足を踏み込もうとすると、素人から学問を学ぶことを出発しなければならない。

 これらは、巨匠のゴッホが、次のように語って、必死で乗り越えようとした「見えない鉄の壁」と同じものですが、私たちの前にも、それが立ちはだかっていました。

  「私の望んでいるものと、私の能力との間に存在する見えない鉄の壁をどう乗り越えるか」

 彼は、その壁を見出し、乗り越えるために、いくつもの影響を受けながら、ひたすら絵を描くことに徹し、徐々に自分の「かたち」を形成していきました。

 しかし、残念ながら、それを本当に理解したのは、彼の死後の後世の方々でした。

 このゴッホの教訓から学ぶとしますと、自らが望んでいるもの、そして自らの能力は何か、この2つを明らかにする必要があります。

 その次に、その両者の間に存在する「見えない鉄の壁」が何かを理解し、それを乗り越え
る実践を、ひたすら繰り返すことが重要になります。

 さらに私たちには、ゴッホができなかった社会的実践と普及を行うという課題の実現も要求されています。

七人の侍

  そこで、映画「七人の侍」から、「その重要な何か」を学ぶことにしました。

 彼らは、それまで加わった戦においては、めざましい戦果を上げることができなかったか、あるいは、むしろ負けてばかりの、いわば負け戦の経験者のようでした。

 それゆえに、「飯が食べられる」だけでお百姓さんに雇われることを受け入れたのですが、最初は、その受け入れに十分に納得していたわけではありません。

 そこで、「共に戦う侍」探しのテストが行われました。ここでは、戦う能力とともに、人格も試され、リーダーのもとに、そのテストに合格した侍が集まっていきます。

 雇われたお百姓さんが住む村に着くと、戦術を練るための現地調査と農民の訓練が始まります。

 しかし、この侍たちの作戦会議のシーンは一度も映画には登場しません。

 おそらく、練り上げた作戦を7人が十分理解し、その実行のための農民訓練を遂行していったのだと思います。

 この過程で、7人の侍たちは、農民たちのための戦いでありながら、自らの戦いでもあるという認識を深めていきます。

 そして、圧倒的有利の作戦の下で実戦を展開していきます。

 この映画の構図は、ブレイクスルー技術研究所が現在取り組んでいる阿智村プロジェクトとよく似ています。
 
 また、ブレイクスルー技術研究所阿智は、その拠点でもあり、そこを舞台にした作戦について、これから少し考察を進めることにしましょう(つづく)。

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高砂百合