東北地方のある都市の小さな美容室の美容師さんに小さく
ない影響を与えた苦労人の彼も変転万化の人生を繰り広げ
てきた。若いころから、化粧品材料メーカーに勤め、営業や
商品開発に手腕を発揮してきた。
今日は月山を超えて庄内へ、明日は、福島、そして、その次
は岩手栗駒高原へと津々浦々を周りながら、プロとしての腕
を磨いた。かれの場合、車の走行距離は、営業力の上昇に比
例していた。峠を越えながら、そして川の辺を走りながらも、頭
の中では次の作戦を考えていた。若さに加えて、しだいに明
確になってきた「プロとしての根性」が自覚できるようになって
からは、「月山越え」など、ほとんど苦にならなくなった。
やがて、彼は、その実績が認められ、若くして東北随一の都
市であるX市支店長の「ポスト」に大抜擢された。この大抜擢
が、さらに、かれの業績を拡大させた。その秘訣は、支店長を
しながらも、小さな美容院を訪れ、現場の問題点や要望を聞
き出して信頼を得ることにあった。これには、部下も同僚も敵
わず、一部には「ねたみ」すら生まれるようになった。
しかし、彼にとっては、そんな事は些細なことでしかなかった。
かれが、最も大切で興味を持ったことは、現場の美容師さん
の要望を聞きながら、それを反映させた新商品を開発すること
であった。なぜなら、そのような商品ができあがることによっ
て、その業界の現場が見事に変わっていくことを何度も経験し
たからである。
「今度の化粧品は良いですね。あれを使ってみて、お肌がず
いぶん変わりました」
お客さんからこういわれると、美容師さんも喜び、それがも即
座に伝えられ、彼にとっても無上の喜びとなった。
しかし、彼の絶頂期は長く続かなかった。不況のあおりで、本
社が経営不振となり、彼も退社を余儀なくされた。何も意見を
いう機会もなく、あっけない退社となり、今度は不運が押し寄
せてきた。
「どうしようか?」
奥さんに相談しながら、かねてから心に秘めていた「自立」
の心を打ち明けた。
「これまで築いてきたノウハウを生かし、おなじみの顧客に
売り込む、それができれば自立は可能だ。起業しよう」
今でいう、VBであるが、当時としては珍しかった。この見通し
と決心は間違いではなかった。
しかし、いざ起業して仕事をしてみると、そうにはならなかっ
た。考えもしない困難が待ち構えていたからである。
これが人生の不思議であろうか、彼は、その困難に真正面か
ら向っていくしかなかった。
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