マイクロバブルで夫婦や家族における「プラスのサイクル」

が回り始めるようになる、これはとてもよいことです。

読者のみなさんにおいては、「そんなことができるのか?」

と、疑問を抱かれる方も少なくないと思いますが、風呂用マイ

クロバブル発生装置の普及とともに、そのような実例が増えて

いることは確かであり、そこに、社会学的、技術学的考察の必

要性を感じています。

いわば、「マイクロバブル社会学」、「マイクロバブル技術

学」、「マイクロバブル未来学」などの切り口から総合的に研究

する学問的視点の確立が重要であるという思いを強めていま

す。

その根拠は、上記の事例のように、マイクロバブルが「乾い

た砂に水が沁み込む」ように、人々の生活に深く入り込んでい

ることにあります。

たとえば、昨今の携帯電話を例にとりますと、もともとは、あ

る地方の女子高校生がポケベルを駆使して連絡を取り合って

いるのを見て、それを携帯電話にするアイデアを思い付かれ

たことに端を発しています。当時の電話は、用事がある時に

かけるものという考えが定着していましたので、これを社会的

に打破することが必要とされていました。

そこで、「今から帰る」という「カエルコール」のキャンペーン

が繰り広げられ、ただ「家に帰る」ということだけを知らせるの

に「携帯電話を使う」という「習慣」が植え付けられていきまし

た。

そして今や人口の6割以上の方が携帯電話を持つ時代が

やってきたのです。これこそ、「乾いた砂に水が沁み込む」現

象の典型的モデルといえます。おそらく、これだけ携帯電話が

広がった理由には、それを使う人々の「心の奥底」にふれる

「重要な何か」があったからだと思います。

マイクロバブルについても、これに似た「重要な何か」がある

と、私は確信していますし、このケースとよく似た事例が出始

めています。

逆にいいますと、それだけ、マイクロバブルにおいて「重要な

何か」が問われていることにもなり、その本物性が問われ始め

ています。

本物でない限り、その心に響かない限り、すぐに世の中から

見捨てられ、消えていくものになっていきます。現に、そのよう

なものは、そのマイクロバブルの世界においても、すでに少

ないものが「出ては消え」、「出ては消え」を繰り返しているよう

です。

商品の価格は、その商品が持つ「価値」によって決められま

す。ですから、価値のないものを不当な価格で売れば、そこか

ら消費者の離反が起こるのは自然のことであり、価格以上に

価値を創造できる、つまり「商品力」のある商品しか、この世の

中には生き残らないのが常です。

以上は、非常に重要なことですから、マイクロバブルについ

ても、長いスパンで「ものづくり」、「商品づくり」を不断にしてい

くとが肝要と思われます。

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